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2022-06-06

美術学校の卒業試験官をつとめることになった話2

試験前日。
わたしはナントに戻り、審査員のみなさんと顔合わせ・食事をした。

そこにはなんと、わたしが学生時代超苦手としていた美術史家の先生Vがいた。

彼女は博識でさっぱりしておりちょっと冷たい感じのする人であった。フランスに来て学生になりたての頃、彼女の授業でレポートを提出が求められた。仏語力底辺のわたしにそんなん出来るはずもなく、でもわたしなりにレポートを書いて出したのだが、わたしの他に韓国人と中国人の学生合わせて3人のレポートだけ受理されなかったのだった。他の美術史の先生らはかなり優しく、私たちのちんぷんかんぷんなレポートにOKを出してくれたのに、V先生だけは容赦なかった。。。
その思い出もありとにかく彼女と話すのが怖かった。そもそも彼女の言うことが理解できるかもわからず、とにかく逃げていた。


その人が微笑みながらテーブルに座っている。。
彼女が来ることは聞いてはいたけど、実際目の前にすると蘇る昔の思い出…。つら
11年ぶりの再会。



挨拶をする。
彼女はめちゃくちゃ嬉しそうにわたしを受け入れた。
あれ?こんな優しかったっけ?
戸惑うわたしを置いて、食事は楽しく進行した。
審査員のみなさんと親しくなっていく。

なんやこれ、楽しいぞーーーー


初めて卒業試験の審査をするわたしはとにかく不安で心配だと、正直に皆さんに伝えた。するとV先生は
「なにがそんなに不安なの牧子。卒業試験はいわゆる試験官と学生の出会いなのよ」

出会い!

衝撃だった。そんな考え方したことなかった。
そのとき気づいたのだけど、わたしは卒業試験そのものにものすごくトラウマがあったのだ。あまりに緊張しすぎて試験の数週間前ひどい膀胱炎になったこと、言葉の壁、日本でほとんど学ばなかった作品のプレゼン。そういうのが積み重なって自分の中に大きな壁を作っていたのだ。しかももし試験に落ちたらもう1年残って学業を続けるなんて金銭的に難しかったし、勝手に自分を追い詰めていたのだ。



試験官なんてどうせこれが最初で最後。
学生の作品を楽しんでじっくり見て、楽しもうと思った。
自分のわだかまりみたいなのが、少しだけだけど成仏するのを感じた。
(もちろん緊張は全く取れず、1週間前からよく眠れなかった)






当日。昼過ぎから試験は始まった。2日に渡るドキドキ審査。
各学生45分。学生はそれぞれ作品らを全て設置済み、そこに私たち5人が出向いてプレゼンがスタートする。30分のプレゼンと15分の質疑応答。中にはパフォーマンスをする学生もいたり。絵画、ビデオ、写真、インスタレーション、文章、様々な媒体の作品が並ぶ。

詳しいことは書かないけど学生らの熱意とか彼らそれぞれの独特な世界が垣間見れて、みんな本当によかった。。。結局全員がちゃんと卒業資格を得た。おめでとう!

彼らは2年前、コロナの影響で学士課程の卒業試験が免除されたそうだ。だからこんな風に試験官とやりとりしたりする「出会い」が無かった。そのため試験を楽しみにしていた学生が多かったそう。


毎回プレゼンが終わると控え室に戻って試験官5人で議論するのだが、感じたことの言語化がめちゃくちゃ難しかった。みなさん現役で美術学校の先生なのでお手の物。それをするのが仕事なのでめちゃくちゃ有能。だけど、こちらときたらそういうのがまさに苦手。
あんまり役にたってなくてごめん。笑
自分の語彙力のなさに絶望しながらも、なんとか無事終わって腑抜けのようになった。もっと語彙力増やして知識も深められたらまた試験官やるかもしれないけど、しばらくはいいかな。。



しかし卒業試験がこんな感動的なものだとは知らなかった。





余談だけど、この美術学校の卒業生でもあるわたしは学校内で知っている人に会いまくった。
お世話になった先生、
図書館のスタッフのみなさん、
事務のみなさん、
各アトリエの技術者の方達。。。
みんなわたしが今回審査員で呼ばれたことを知っており、廊下で会うとすごく嬉しそうに「おかえり牧子!審査員なんてすごいね!最近の活躍も見てるよー!」と声をかけてくれたのだった。もう嬉しすぎるー!
仏語ができなくて、制作で悩みまくって自分を失っていた時代を一緒に過ごした人々がこうしてわたしを応援してくれているというのは、感慨深かった。




試験が終わって2日後、V先生からメールが来た。
「濃密な時間を共有出来たこと、本当にありがとう。学生らはとても幸せです。またの機会に牧子に会えることを楽しみにしています」

わたしの中でやっぱり何かが成仏した。

2022-06-05

美術学校の卒業試験官をつとめることになった話

今年2月だったと思うけど、別府に滞在していた。
朝起きてメールチェックすると、ナント美術学校時代の恩師からメールが届いていた。今も現役で先生をしており、わたしもたくさんお世話になったマルク。メールの内容はなんと
 
「牧子にナント美術学校の5年生(大学院2年)の卒業試験の審査員をしてほしいんだけど、どうかな?今年は2人も絵を専門にしている学生がいるし。」
 
だった。
 
 
わたしは別府で唸った。
いや、心の中で、叫んだ!
 
 
「はあああぁぁぁぁぁ わたしが・・・・!?????出来るわけねーーーじゃん!!!!」




仏語も完全にままにならないわたしが、どうして審査員など出来ようか(できない。反語)。。。しかも卒業試験がある6月に、すでにいろいろ予定があるのでまず予定が合うかわからん。っていうか何故にわたしなのか?疑問しかない。
何度かメールのやりとりをして、結局承諾することにした。わたしが試験官としてどうとかより、ただ単に学生の作品が見たい!と思った。
数年前から学校のシステムが変わって、日本でいうゼミのような制度が導入され、1学年30数名を一気に審査するのではなく、試験官も各ゼミで異なる。つまり受け持つ学生の数が減るということ。わたしは9名の学生を担当した。
審査員は全部で5名。マルク、わたし、そして論文担当も兼ねた美術批評家、ほかアーティスト2名。わたし以外全員美術学校で教鞭をとっている方々である。みんなわたしより10歳以上年上。
 
 
 
 
 
提案を受けてからそわそわした日々を過ごした。
事前に学生らが書いた論文を送ってもらったけど、難解。。。こんな感じで試験管なんて務まるのだろーか・・・と自分の非力さに絶望したり。そう心配するわたしはマルクと何度もやりとりをした。
 
わたし「論文難しいいい…不安しかない、、」
 
マルク「まきこ!そうだろうと思った。けれど論文の口頭試験はもう終わっているし、牧子は彼らの作品を見て、アーティストとしての意見を言えばいいだけだから。心配しないで!君はアーティストであって、批評家でも美術史学者でもないのだから。それはそうと、今回僕が招待した審査員はみんな苗字がFで始まるんだよ、偶然にしてはすごすぎるだろう、はははは!」
 
と、さすがイタリア系仏人、明るい(笑)
なんて楽観的なのだ。電話越しにキラキラした光が届く。
 
 
 
 続く

2021-12-01

Villedieu les Poêlesとは

私が2週間半滞在した鋳造所Cornille Havardは、
Villedieu les Poêles (ヴィルデュー・レ・ポワル)という町にある。

直訳すると、
Villedieu=神の町
les Poêles=鍋(平釜)
だ。
 
鍋を意味するPoêleは「ポワル」と不規則に発音されるのだけど、「毛」を意味するPoil(ポワル)と同じ発音だ。
だから最初「ヴィルデュー・レ・ポワル」 と聞いた時

「え!神の町、毛????」と思って一人ちょっと動転した。笑
 
 
さてここで問題です。
Villedieu les Poêlesに住む人は、なんと呼ぶでしょうか?
 
パリだったらパリジャン・パリジェンヌ。
マルセイユだったらマルセイエ・マルセイエーズ。 
ナントだったらナンテ・ナンテーズ。。。
 
正解は、
Sourdin, Sourdine (スルダン、スルディーヌ)です!


仏語話者ならお気づきでしょうが、
もちろんsourd(耳が聞こえない人)から来ている。
 
そもそもこの町には(食器や壺などの)真鍮製品製造や、銅類製造が栄えていた。そこで銅を繰り返し叩くことで耳が聞こえなくなった人がたくさんいることから、そう呼ぶようになったとか。
 
 
なんか、ブラックユーモアすぎん???
理由を聞いて私あんまり笑えなかったケド。。
今は鐘専門の鋳造所があって鐘の音がしょっちゅうしているけど、そのせいで耳が聞こえなくなる人がいませんように。
 

2021-10-09

目の前で魚がさばかれる


 昨日ブログを書いてすぐ後
「あ、フランスの兄に会いたい」と思ってすぐ連絡して、今日一緒にご飯食べた。我が家に来てくれたけど、実はまだ食事用のテーブルが無い(笑)。そしてちゃんとした椅子も一脚しかない(小さな臨時用の背の無い椅子はあるけど)。9月頭に引っ越ししてからまだ合計1週間も自分ちに住んでいない。。。

バタバタな状態で彼は来てくれて、彼のご要望にお答えして(また!)巻き寿司を作ったのだった。



朝は市場へ魚を買いに行った。
いつも行く魚屋さんにめちゃくちゃ人が並んでいて、悩んだけどやっぱりここに辛抱強く並ぶ事にした。私の番が来て、寿司用にマグロとサーモンくださいと言うと、「寿司だったらサーモンはこっちの方がおすすめだよ」と言って、お兄さんがそれはそれは巨大な魚を出してきた。
(え、小さく残ってたもう一つのサーモンでもいいのに!)

そう思ったのもつかの間、お兄さんはめっちゃ手際よく私の目の前で魚をさばき始めた。私の後ろには15人くらい客が並んでて、かなりみんなイライラしているはずなのに、お兄さんがこんな巨大魚に取り掛かったので私は勝手にハラハラしていた。でも彼はそんなのお構い無し。マイペースに包丁をささっと研いで手際よく腕をグワングワン動かす。美しく切られていくサーモンを見て、私はうっとりしてしまった。なんかいい!

お兄さんはおまけに、魚を入れたビニール袋までしっかり拭いてくれた。なんてご丁寧な!こんなん初めてだぜ!市場で魚買っただけなのになんかすごく良かった。



こういう喜びは、きっとフランスに来たての頃は味わえなかったと思った。仏語がそれなりに使えることで、私の中に色んなものを感じ取れる余裕が生まれているのではなかろうか。見ず知らずの人との会話に花が咲くのも、そういうことかもしれない。

2020-12-01

読解力とか書く力とか

A作の鴨コンフィ再来。今回はコニャックを入れていました。激ウマなのは当たり前なのだけど、この味こそ日本であまり食べてこなかった味だなーと思いながら食べた。
咲いた。
色が美しい。

すいません、忙しくて更新滞ってます。
 
ここ数年いろんなコンクールとかレジデンスとかに挑戦しているけど、あらためてわたしは文章が書けない、、、と絶望している。もともと読解力に乏しく、子どもの頃国語の点は他教科に比べとても低かった。文章を読んでもスッと入ってこないので、ましてやフランス語になると本当時間がかかる。長く住めば住むほどもっと勉強しないと、と思う。
 
いちおう海外で自立した生活をおくれているとはいえ、日々努力していかないとやっぱり厳しいな、と思います。まじ勉強あるのみ… っていうかむしろ今まで、よくこれだけの力でやってこれたよなぁと思う。それは友人ら・恩師らのおかげなのだが、改めて彼らに感謝の気持ちと敬意を払いたい。

2020-06-07

nous te prenons comme tu es

眼科検診に行って来た。たまたまとれた予約、先生はまた外国人であった。名前からして中東系の人だろうか。すごく優しい方で、問題なく診察は終わった。

(診察室に入ったらまずは消毒ジェル義務。待合室も椅子がこんな風になっていて人と距離がとれるように。入り口のドアもずっと空いていた。マスクは最初っから最後まで一度も外さなかった)
フランスに来てから今まで3人の眼科の先生に診てもらったが、なぜかたまたま全員女性で全員外国人だった。
最初は東欧系の金髪の先生、
次にアイルランドのガテン系先生、
そして今回の中東系の先生。

その3人ともが、とても正直に言うとフランス語はちょっと危うい感じだった(私自身も全く完璧な仏語を話せないのにで偉そうなこと言えた身分ではないのですが)。でも診察に問題は感じなかったし、むしろ「外国人でもこうやってバリバリ仕事ができるんだ」と同じ外から来た人間として勇気をもらう。たくましい。(この前の皮膚科の先生もドイツ人だったね)

今まで何度か、学校やアート施設でワークショップをやったことのある私ですが、その度に外国人だけど大丈夫かな、、という不安はある。ミスのない完璧なフランス語を話せられるに越したことはないが、でも完璧でない自分を受け入れてくれる世の中っていうのも、素晴らしいなと思う。(ただ、フランスではどこもそうとは限らない)




今絶賛レポート書き中ですが(レジデンス用の)、アートセンターのみなさんに聞いた。
「私が書いた文章、やっぱ誰かに添削してもらってから提出した方がいいよね?」

すると
「その必要はないよ。私たちが読んで、もし本当に文脈が汲み取れないところがあれば一緒に直せばいいし、ありのままの牧子を受け入れるから(nous te prenons comme tu es)、心配しないで!」

と言われた…  かなり拍子抜けした。

はっきり言ってしまえば私は外国人として少し大目にみてもらっているのだと思う。けれどその寛大さというか信頼を感じて泣きそうになった。



勘違いしてはいけないのだけど、
何かに応募するときなどは絶対に添削が必要で、正しいフランス語が書けていないとそれだけでマイナスになる。だから基本添削は必須です。友人の仏人たちだって、他の仏人に添削してもらってる人もけっこういる。フランス語は本当いっぱい決まりがあって難しい。
私が完全にネイティヴが書くような文章を書ける日は多分来ないと思うけど、でもずっと勉強していかなければ。


以前この仏語の不安をスタッフCにした時、
「え、でも牧子のメールをみても、問題あるって思ったことないけど」と言われて天にも舞う喜びに浮かれていた次の瞬間、自分で書いたmini bio(短い自分の略歴や経歴の紹介文)を見せたら「あぁ、なるほど」と言われたことがある(笑)

きっとメールはしょっちゅう書くから慣れてるんだろうけど、他の文は書き慣れていない。だから勉強・経験あるのみですね。


私はフランス語を人との交流や会話で学んだので、読み書きが人よりかなり劣っている。少しずつ克服していきたい。。



(眼科に早く着きすぎて、時間つぶしのために散歩に出た。)
レンヌのサッカー場、次の開館はいつになるのだろうね。

再び水車発見

2019-11-07

プレゼン

この日はみんなの前で各自30分のプレゼンをした。

4人本当それぞれ作風が違って、面白い。

この研修に応募した目的の一つに、「プレゼンがうまくなりたい」という思いがあった。今まで私は、行き当たりばったりでいろんな話をしてそれを「プレゼン」としていたが、もっとスマートに自分の作品の話をしたいと思っていたのだ。
来週には、ギャラリーのスタッフと各自アポイントメントがあってもっと詰めて行く。どんなことを言われるのか、自分がどんな風に変われるのか、今から実はものすごく楽しみでワクワクしている。もっとレベルアップしたい。




初日に何度も言われたのは、「ここは学校ではない。一方的に「教わる」場所ではなく、4人のアーティストとのコラボレーションだ」ということ。
この考えが好きで、一気に私の心の中のドアは全開になった。笑 ここではよく「partager(シェアする)」という単語を耳にする。

まぁまだ1週間なので今後どうなるかわからないけど、今明確にわかっていることはスタッフの方々は私たちを「助ける」ためにいるということ。ナント美術学校にいたときは、そういう優しい態度を見せてくれる人も多々いたけどもっと厳しくって辛い時もあった。(それは「学校」だから。あと、当時わたしは仏語もままならない状態だったから、人々が私を助けたくても助けきれなかったってこともあったのかもしれない)

一度美術学校を出ると、なかなか大変。アーティストのひよっことしてイキナリ社会に出て、色々つてが無いとぞんざいに扱われる。ましてアーティストが溢れるナントでは競争率が高く、苦労している。そんな数年を経験した私にとって、ここは天国のような場所です。ありがとう・・・


美術学校にいたとき、今くらい仏語が出来たらどんなに良かったことか。
今更こんなこと言ってもしょうがないのだけど、もっと面白いことや刺激的なことが学べただろうに。

2019-06-26

NYC③ Whitney Biennial 2019


Whiteny Museum of American Art
https://whitney.org/
calvin marcus


ベランダから。

そういえばエントランスで、カバンを預けたいけどどこに行けばいいのかって、案内係のおじさんに聞きかけた。話してる最終に彼の胸に「フランス語話します」ってフランス語で書いてあったので、
「フランス語話すんですか!」と仏語で話したら
「ウィ!」
と元気な返事をもらった。必要な情報をもらったあと、ついつい
「カナダのケベック出身ですか?それともフランスに住んでたとか?」と聞いてしまう。

おじさんはとても優しく微笑んで、
「いいえ、私はアメリカ人でフランス語は勉強しました。英語のアクセントがどうも強くて、ごめんね」
と言うので、私は
「とんでもない!あなたの仏語は完璧です。英語アクセントのある仏語はとても美しいと思います」
って正直に言ったら(本当にそう思うので)、とっても可愛く笑ってくれて、心が暖かくなりましたー


訛りって、本当可愛いし美しい。
いろんな国の人と話せば話すほどそう思うのは私だけだろうか。




なんといってもこの作品が好き。

Nicole Eisenman



個人的にはこれー!っていう作品が少なかったけど、面白かった。



Janiva Ellis



一回一通り見終わったあと、もう一回さらっと最初から見た。
そしたら2部屋目で監視をしていた黒人のイカツイおっさんに突然
「まだいたの!」って言われて、吹いた笑
2人で笑って
「そう2週目。じゃねー」
と答えてバイバイしたけど、このあとも他の美術館で監視員の人たちと話すことは度々あった。



それにしても監視員って、お客のことそんなに見てるもんかね。
あーびっくりした。



美術館出たら小腹が空いたので、むしゃむしゃタイム。


2019-05-29

多言語の共存

カイルが私のアトリエを綺麗にしてくれた。
汚かった壁がすべて真っ白になった!

彼はカナダ人で、フランス語を全く話さない。
「少し」という意味のun petit peuをおぼろげに言ってくれた時はめちゃくちゃチャーミングだと思った笑。パートナーはフランス語の先生らしいけど、彼女はバイリンガルだから全然上達しないそうだ。


ここではこんな風に突然完全アングロフォン(英語を母語とする人々)がやってくるから本当に面白い。ジョンのイギリスアクセントとはまた違うから、さらに面白い!

Axenéo7と共同で同じ建物にオフィスを構えるDAIMON(ダイモン)のメンバーも、一人はケベック生まれの女性(ほとんど仏語しか話さない)とマイケル。マイケルは仏語も全然話せるけど基本英語で、仏語で話してても英語で返してくる。
なんか、いろんな言語が混じってて楽しい環境です。

日本では地方の訛りや方言があるけど基本みんな日本語しか話さないよって言ったらJMに

「それ、本当すごいことだよね!あり得ない!」と
すごくびっくりされて、いやいやカナダのっていうかここ(オタワとガティノ間周辺)の方がすごいわ。多言語の共存。。


自転車を10分こぐだけで英語を話す環境にたどり着くわけだけど、どうしてこの二言語がうまく共存出来ているのかって常に考えちゃう。

ちなみにもっとケベックの仏語を理解できるようになりたいから、オフィスの皆んなに毎日新しい単語を教えてもらうことにした。
変な単語ばっかり教えてくれるから、毎朝めっちゃ面白い笑

2019-05-22

フランス語の闇

昨日、派遣先のギャラリーで出会ったアーティストたち(ケベック出身のカナダ人とシカゴ出身のアメリカ人)と話をしてて、思い出したことを書きます。今回ちょっと長いです。

(みんなでイタリア料理)

金沢美大で学生をしていた頃、ベルギー人の友達Sが出来た。
彼女は当時市役所で働いており、美大の先生の計らいで知り合った。フラマン語、英語、日本語、そしてフランス語を自由自在に操る彼女。当時私はフランス語を勉強し始めたばかり、外国人の友達が出来たということが、それだけで嬉しかった。



そうとう昔のことなので詳しいことまではっきり覚えていないが、ある日彼女から連絡があった。
「うちでパーティをするから来て!フランス語を話す会。フランス人の友人も来るよ。マキコも一緒にフランス語勉強しよう」


金沢で学生をしていても、なかなか外国人と触れ合うことはほとんど皆無。嬉しかった。とってもドキドキしながら彼女の家に遊びに行った。


ピンポンを押して中に入ると、当たり前だけど外国人ばかり。10人以上はいたかもしれない。
「最近習ったフランス語を試してみるチャンス」とドキドキわくわくしていたのは、その最初の1分だけだった。そこにいた人は皆レベルがめちゃくちゃ高く、普通に問題なく仏語を話している。
全く文法もおぼつかない初心者中の初心者を
好んで相手する人は誰もいなかった。



いや、いた。みんな受け答えはしてくれるのだけど、なんせ話が続かないので皆んな英語を話し出す。でも私は当時本当に英語も全く出来ず、ただひたすらみんなの話に耳を傾けるのみだった。Sも私のお世話ばかりしてられない。
みんなあんなにいっぱい笑って楽しそうなのに、私は全くもって一瞬足りとも楽しくなかった。テキトーに笑って過ごすんだけど、それも辛すぎて最後の方は愛想笑いも出来なかったと思う。




そんなに辛ければ早く帰ればいいものを、なかなか言い出せず、でも勉強になるしなぁとか思って私はずっと残っていた。(本当に私はバカだ)
途中、囲碁を勉強しに留学に来ている仏人の学生と話(ジェスチャーで話?)をしていた。
全然聞きたいことが聞けない。相手も白け始める。彼は日本語を話さない、日本語で言っても全然伝わらない。すごくツマラナイ雰囲気になる。


すると彼が一言、
みんながいる目の前で、堂々と、

「きみ、もっとフランス語勉強しなきゃ。全然分かんないよ」

って言った。
(奇妙にもこのフランス語は完璧に分かった)




その瞬間、
今でも覚えてる。
彼の顔も覚えてる。
どんな言い方で言ったのかも覚えてる。
これでもかってくらい、
正真正銘の嫌味だった。




そして
頭が真っ白になって、
頭の中身が全てズタズタになった。
その場の空気がシーンってなった。






あのね、


そんなこと言われなくても、


誰よりも



分かってる。

あんたなんかよりも、
数億倍、
自分が分かってるっつーの







その日の帰り道、すんごく泣いたと思う。
悔しくて、悔しくて、すんごく泣いた。
同時に、あれだけ真っ正面からハッキリ言われて
ものすごくショックだったのが、
その後の仏語勉強の糧になったかもしれない。

なんて、

当時、私は本当にアホで
その時の言われたことをプラスに考えていた。

最近までは。






それから時が経って私はフランスへ渡り、
美大のマスターを卒業して、
今なおフランスで制作活動を続けているわけだけど、
もちろん語学はいつまで経っても勉強中だ。


ふとある日、
あの日の出来事をふと思い出すことがあった。
色々思い返した。
そしたらすんごく腹が立って腹が立って仕方がなかった。





外国語を頑張って学ぶ人を、よく、
あんな風に人前でけなしたなって。
自分は日本語が出来ないことを棚にあげて
よくもまぁあんな酷い言い方をしたなって。



フランス人がフランス語をとても誇りに思うのは結構だ。間違ったフランス語や変なアクセントで話した時、好意から訂正してくれるフランス人がたくさんいる。それは私のためになるから有難いことだと思ってたし、今も勿論そう思ってる。

でも、
今わたしは恋人がイギリス人だし、期間限定とはいえどカナダにいるということで、英語圏の人と英語を話す機会がものすごく増えているのだけど、

一回も、誰にも、そんな風に訂正されたこと


ない。






私が自分のブロークンイングリッシュにうんざりして
「ごめんね私の英語。めちゃくちゃで」と言っても

「牧子の英語、ちゃんと理解出来るよ。
 間違いなんて気にしないで、続けて」
って言ってくれる。

ジョンにもキティーにもアンディーにもメアリーにもソフィーにもイギリスの他の友達にも、この前トロントで会った人々
誰一人にも
「そこはこういうんだよ」なんて訂正されたこと、「ない」。


ジョンに「もっと正確な英語を話したいから、間違いを訂正してほしい」って言ったことがあるのだけど、彼は
「僕は何も言えない。だってきみは僕の言語を勉強してくれているのに、それを訂正するなんてそんな権利ない。きみの話はちゃんと分かるし、きみの英語は素晴らしいよ」
て。。。
それ言われた時泣きそーーーーになったよーーーまじでー😭😭😭

ちなみに彼は「僕なんて2年も東京に住んでいたのに全然日本語話せないんだよ(ドヤ顔)」笑 ドヤ顔するところじゃない笑
「しかも君はフランス語が話せるんだ。すごすぎる」



声を大にして言いたいが、私の英語は本当にビギナーだしめちゃくちゃだ。日本語っぽい仏語っぽい変な訛りもある。けど何人かの友達に「牧子の訛り、すごく珍しくてなんかめっちゃクール!いいね!」って逆に褒められたことがある。
こんなことって、ある?
信じられないけど、奇跡的にあるのよ。



こういう優しさに触れて初めて、
金沢で見ず知らずのフランス人に言われたことは、全然普通じゃなかったって気づいた。人の努力は絶対に笑ってはいけない。誰にも笑う権利なんてない。
日本ではよく外国人が日本語を話していると、変にモノマネしたりからかう人がいるけど、なんで?その人は頑張って勉強しているんだ、何が面白いんだって思う。



私が今いるケベックの人と話していると、彼ら独特の訛りや言い回しがわからないことがある。同じフランス語と言えど、けっこう違うことがある。
フランス人はよくケベックの訛りをバカにするんだけど、なんでだろう?何が理由でフランス人の話すフランス語の方が偉いんだって思う。


昨日一緒に食事をしたケベックのアーティストが、フランスでレジデンス中「無理やりケベック訛りを直した」って言ってて、本当に悲しい気持ちになった。彼女がなんでそんなことしなきゃいけなくなったかって。本当に悲しい。なんで彼女がそんなことしなきゃいけないの。


っていう一連のことを、昨日初対面の二人と話していた。会話はほとんど英語。でも私のためにゆっくり話してくれたし、すごく楽しい夕食だった。




学生の頃の私に一言言いたいのは、
「そんな酷いこと言う輩は、外国語を真剣に学ぼうとしたことがない人だ。人の努力をバカにする人ほどろくなやつはいない。あなたは外国語を取得しようと勉強し始めた、それだけで素晴らしいのだから、マイペースで頑張って」
かな。



あぁ、
それにしても 今思い返しても、
あの日は辛かったなぁ。。。


英語を学び始めたことによっていろんな世界が広がると共に、(フランス人の話す)仏語の闇にも気付かされます。

2019-05-05

スーパーとケベックのフランス語。

フランス語でスーパーはsupermarché(スーペルマルシェ)なのに、ケベックのフランス語ではépicerieと言う。

ちなみにフランスでいうépicerieはコンビニみたいな、小さい食料品店って感じ(ですよね?フランスに住んでる皆さん)
だから最初、私は「や、épicerieじゃなくてsupermarchéに行きたいんだよ。」とみんなに言ってたけど、途中でコトに気づいた。

意外とケベックのフランス語に苦戦中。


滞在場所から一番近いスーパーは、歩いて20分くらい。
歩くのは全然いいんですが、なんにせよ、売ってるものの大きさがフランスのそれより全て大きめなので、すぐに買い物カバンがいっぱいになってしまう。だから帰りは重たい荷物をガンバって徒歩で持って帰らなければいけない。

ショッピングカート。


見にくいけど、NAPPAって書いてあった。
田舎なのにしいたけも売っててびっくりしたー
SHIITAK"E"、スペル間違ってるよ!


これこれ、牛乳コーナー。。
ここカナダでは、牛乳の種類がめっちゃすごい。
無脂肪牛乳や低脂肪牛乳、他にも2%、3.25%... 脂肪分の違いがハッキリと書かれており、他にもコーヒーに入れるのに最適なものやチョコレート入りだとか、他にも量の違いなど、たくさん選択肢があリます。あと袋入りの牛乳もある…

他の乳製品が意外と高くて、そして何より落胆したのが、ヨーグルトの味がイマイチってこと笑
チーズとかバター高い。遅いけど、今になってフランスは乳製品王国だったんだなーって気づいた。あんな美味しい濃厚なヨーグルトとかフロマージュ・ブランとかが安価で買えるなんてね。
あとワインもめっちゃ高くて、フランスの1.5倍くらい?フランスは本当に食いしん坊に良い国だったんだ。ちょっともう恋しいよ。


あとは写真撮らなかったけど、ほとんどの商品が大きい。
JMとかヴェロニックとかが車で私の買い物に付き添うよって何度も言ってくれたのはこのせいだったのね。


スーパーを物色してたら、男の人二人に声をかけられた。
両手に二種類のお茶っぱ。煎茶ともう一個よくわからないけど日本製。
最初英語だったけど、途中からフランス語になった。
「やぁ、君、日本人だよね?突然悪いんだけど、、、このお茶の違いわかる??」

私最近、自分でもアジア人の違いを見分けられないのに、どうして私のこと日本人ってわかったんだろーか。と思いながら、お茶のパッケージ見ても違いがわからん!
でも段々、お茶じゃなくて私がどうしてフランス語を話すのかと言う話になった。ケベックの人はすぐvousではなく tuで話すので、ギスギスしないし、すごく楽だ。でもそのtu(チュ)の発音がすでにフランスで話すフランス発音と違って驚くんだけど。。
ケベックの人は「ツ」と言う。

(ちなみに「en tout cas」とかも「オンツカ」と言うような発音になり、最初全然わかんなかった笑)



結局私は日本人として何一つ彼らを助けられず笑、バイバイしました。





心なしか、青信号(ここでは白だけど)のニンゲンもガッチリ体型な気が。私も2ヶ月後にはこうなっているかもしれない!


2018-05-21

Fanzine! Festivalで通訳

5月19、20の週末はパリで Fanzine! Festival(ジンのブックフェア)に参加しました。

今回の目玉は大阪から参加のnice shop su(ナイスショップスー)!
彼らは今回彼らが監修する「快晴」の創刊に伴って、パリにあるGalerie P38での展示を企画。さらにブックフェアに参加するため、フランスに参上したのであります。


そしてフェスティバル側が是非ナイスショップスーとトークショーをしたいということで、わたくし通訳者として参加させていただきました。


開始前の穏やかなとき。



カズマくんとかおりちゃん。

いや、人呼んで

スーさんとスーちゃん。
彼らが昨年LAGONを日本に呼んだんだよね。

進行役のヤシンと彼らの間に、なぜか私…
(こんなに足見られるんだったらショートパンツ履くんじゃなかった…笑)


今回初めて?公の場で通訳らしい役をさせてもらった。
難しいのは知ってたからすごく緊張していたけど、予想通りチョーめっちゃ難しくて時々少しパニックに陥りました。


訳してて気づいたんですけど、普段私は仏語を話しているときわざわざ日本語に訳してないので、知っているフランス単語たちが日本語で何て言うのか全然悲しいくらいに出てこない。😭意味は分かるのに、なんていうんだっけって。
通訳は訓練が必要だし、通訳者として仕事をしている方々は本当に多大な仕事量をこなしているのだなぁとしみじみ思いました。今回私はボランティアだったので、初心者だし少し失敗してもいいやっていう軽い気持ちでやったけど、それなりのレベルの人には絶対お金を払わないと本当に失礼だと思いましたよ。通訳って軽くタダでお願いする人が多いですが、まじで、能力・努力の搾取です。だめです絶対、無償でやらせたら。失礼です。パン屋に、タダでパンくれ!なんて言う人いないでしょう。(相変わらず例えが雑…)
だから東京オリンピックでたくさんの通訳ボランティアの方が動くそうだけど、通訳としてお金を稼いでるプロにとっては本当いい迷惑。是非そんなシステムなくしてほしい。プロに対してのリスペクトがないし、そうやってたくさんの能力の価値が下がっていく。「通訳はタダでやってもらえる」という考えになってしまう。
私もこんなレベルの通訳でも、本来ならお給料払ってよ!って言わなきゃだめだったんですよね。すみません。。




話は戻りますが、
スーさんとスーちゃんは、フランス人の「なんで」「どうして」攻撃に少し苦戦していた。
「ショップの精神、意図とは?」
「本に編集されているアーティストの方々はどのように選択したのですか」
「展覧会で展示されている作品を紙に印刷・編集したことに対してどうお考えですか」


この質問攻め、私が当初フランスの美術学校に入学して辛かったことの一つ。なんでこんなにしゃべりたいんだ、っていう。
そんなことを考えながら終えたトークショーですが、あとでオーガナイザー側のフランス人たちと話していて彼らがこういった質問をするのはやっぱり単純に「知りたい」からだよなぁ、と思った。
難しいことをお願いしているわけじゃない。作品が、展示が、雑誌が面白いんで、興味がある。どんな経緯でこんな作品が出来上がったか知るために質問するんだよね、当たり前だけど。しかもこのトークショーは録音されていたんですが、編集されてラジオとして放送されるらしいです。だったら聞いている人はよりもっと「彼らがどんな風にものを考えているのか知りたい」し、「彼らの言葉を聞きたい」ですよね。

スーさんとスーちゃんはブックフェアの間ずっと忙しそうだったけど、 前夜のお酒の席で本人らからカズマストーリーやかおりストーリーを聞けて私はとても満足でした。あまりに面白かったから、翌日かいつまんでフランス人たちにちらっと話したら、目を輝かせて「え!そんなこと言ってたの!知らなかった!」と身を乗り出して聞いてた。笑




楽しいひとときでした。通訳は大変だったけど、マイク使って話する機会もめったにないしいい経験になりました。
あ、そうそう 一度「〜が好き」というのを、「aimer」ではなく「kiffer」 を使ってしまったんですが、その瞬間 前の席に座っていた友人のサミーがブハッと吹き出し、進行役のヤシンも二ヤ〜としたので(しまった!😱)と思った笑
kifferというのは非常に砕けた表現で「好き」という意味なんですが、もともとkifというのは麻薬のことで、 麻薬を吸うっていう意味で使われていたそう。こんな公共の場で俗語を使ってしまったのであちゃーと思いましたが、サミーはショーのあと色んな人に「マキコはkifferって言ったんだよ」と言いふらしていたので、笑い話になりましたとさ。みんなで爆笑してお腹痛かったよ(って私だけかもしれないけど)

2017-09-14

言語

ドイツで丸々1週間、金沢美大の恩師二人と旅行をしたわけですが、当たり前ですが四六時中日本語でした。朝起きてから寝るまで、本当ずっと!!普段日本語を口にすることがほとんどないので、なんだか不思議でした。でもやっぱり「楽」だった。ただ先生方と話をしていて思ったのは、日本語はしょっちゅう主語を省略したり、「あれ」とかで話の意図を曖昧にできたりするので便利な反面、人の話はしっかり最初から聞かないと全然ついていけない。言いたいことの表面だけをなぞっているだけで会話が出来る日本語ってすごいなぁとも思いました。

そうそう、旅行が終わりナントの自宅に帰ってきてボリスケにお土産話をしました。だけど、仏語の発音が所々辛い…?Rの発音が思ったように出てこなかったり、Uの音を出すため口をキューっとしぼめるも、なかなか思うようにしぼまらない。なんか変。(*o*) すぐに前みたいに戻りますが、あの違和感は少し怖かった。たった1週間でこれなんだもの。
 
 
(カフェpetit bにて。dans le ciel tout va bienの展示)

留学でフランスに来てから2年経ってやっと日本に帰った私ですが、そのとき家族に
「なんか牧ちゃん口をあまり開かないでしゃべるようになったね」
「もごもごしている」
と言われたのをよく覚えています。
自分では自覚がないのでなんとも言いようがないのですが、環境でだいぶ変わることがあるようですね。


今は英語の勉強もちょくちょくしているのでそのせいもあるのか。それにしてもドイツから戻ってきて仏人の友人と話をするときも、時々はっと単語が出てこなかったりします。こういう意味の単語あるはずなんだけど、なんだっけーーーー(*o*)って。


今朝も、窓拭きが書けなくて、、、本当情けない


2017-01-20

Philippe Katerine

去年の夏から楽しみにしていた
フィリップカトリーヌPhilippe Katerineのコンサートに行ってきました^^
場所はLieu Uniqueでした。


私は彼の特別なファンということでもないのですが、やっぱり好きです。
美術学校にいた頃、友人が彼のCDをたくさん貸してくれたのが始まりでした。わかりやすいフランス語・簡単な言葉遊びで歌われる彼の曲は(下ネタもたくさんありますが笑)、少しずつフランス語に慣れていく私の生活にぴったりでした。なんとなく彼の曲を聞いていて、ふと突然歌詞の意味が分かって一人爆笑したり。彼のおかげでたくさんの(変な)単語を覚えました。。子どもが歌っているような声も、また彼の魅力です。


彼の代表作の一つ。 Louxor J'Adore



彼は美術学校出ということもあってか、歌手というよりかアーティストという肩書きの方があっているように思うし、コスチュームや演出がもう面白すぎました!コンサートの最終は会場で笑い声が絶えず、とてもいい雰囲気。チケット買っておいて良かった…!
終わってみれば私にとってフィリップは「変でオモロイおじさん」という印象です。笑

最後にはこのホワホワした衣装がとれて、全身タイツのみに笑

以前はばかばかしくて変で面白い曲ばかりだったけど、お父さんが亡くなられてからしっとりした曲が増えて、別のフィリッピを発見したという感じです。

2016-06-06

トム。

先日パリまでとんぼ返り。イギリス人アーティストのTom Davisに会ってきた。彼はまだ22歳という若きアーティスト。近々彼のジンをChambre Charbonから出す予定があるので、パリに来るという知らせを聞いて、休みもらって行ってきました。

今回初めてイギリス国外に出たという彼。そのせいか、手加減なしのナチュラル英語だった。。。
(話すの早いよーーー(*o*)
(全く分かんないよーーー(*o*)
(泣きそうだよーーーーー(;_;)

彼はとても親切で感じのよい好青年だった。いい奴すぎて、わたしの英語力が申し訳なかった。それでもギャラリーをまわったり美術館行ったり、アートの話もしたり、いろいろ一緒に見れて面白かった^^

わたしがわざと和製英語を教えてあげると、めっちゃ笑ってくれた。
あいすくりーむ、じゃけっと、のーとぶっく。。
あ、「ターナー」がすぐに伝わったのが、なんかびっくりしたなぁ

パリに住む友人宅でアペロ(食前酒。つまり一杯引っ掛ける的な意味?)を。彼らはセーヌの氾濫にめちゃくちゃ不安がってて、ミネラルウォーターを買いだめしていた。

その日一日中英語に苦戦していたわたしは、このフランス人の友人宅でのひとときに、ものすごく「安堵」していた。フランス語もちゃんと立派に話せないって自暴自棄になるときだってあるというのに、英語ができないからといって仏語に逃げてはだめだなと思ったのでした。っていうか中学1年からやってた英語の時間、一体なんだったんだろ。高校時代あれだけ時間を費やして覚えた英単語は、わたしの頭のどこに残っているというの。。あぁ

 
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