2026-02-17

ランチ事情

ランニング中、サクラを見かけました!びっくりして写真撮った。
最近雨が多すぎて、全部散ってしまわないか心配。 

トゥーロンにいるとき、お昼ご飯はレオとピエールとLe Port des Createursのキッチンで食べる。私の何の変哲もないサンドイッチを見てピエールが「僕もそんなおいしそうなサンドイッチを作りたい」と言う。
え?「特別なこともしていないこんなサンドイッチを?」と言うと
「そう、牧子はどうやって作っているの?」と聞くので
「朝はフライパンを洗いたくないから、まずは洗ったブロッコリーをレンジでチンする。ついでに卵もお皿に割って、爆発しないように黄身に穴を開けて、チンする」と言った。するとピエールは大きな目をさらに大きく開けて
「え!!ブロッコリーを、、、、れ・れ・レンジに!??」
とそれはそれは驚いていた。大革命に触れたような、そんな驚き方だった。

横で聞いていたレオも
「え!!野菜をレンジで火に通すなんて、そんな考え方思いつきもしなかった」と驚愕していた。

日本では電子レンジばかり使って調理するのがかなり当たり前になっているけど、フランスではまだなのかな?確かにレンジは悪、みたいな考え方が一般的なような気がするし。ピエールにとって電子レンジとは何か調理されたものをもう一度あたためる、それだけのものだったらしい。



ちなみにそんな彼がこの日用意していたランチはこれ。
ソーセージにチーズを乗せ、レンジに入れてチーズを溶かす。そのあとフランスパン(バゲット)に挟んでパクリ。これだけ見ると笑っちゃうくらい簡単ですごく体に悪そう。加熱されたチーズは臭いし、3人でお腹が痛くなるほど笑った。けど実際美味しそうだしいいよねー
ピエールとレオ。ナイスコンビ!


日本のみなさんのお弁当のレベルが高すぎて、フランスでのランチ事情はかなりレベル低いけど、それくらいがいい。日本のみなさん頑張りすぎなんだよ。

こちら別の日のランチ。
ご飯にキムチ、卵焼きにツナとほうれん草ときのこ混ぜたもの。5分で出来ちゃう

2026-02-16

おばあちゃんの話

2月15日は父と2番目の姉の誕生日で、2月16日はおばあちゃんの命日。毎年姉と父の二人の誕生日を祝い、その翌日におばあちゃんのことを考えるのが恒例となっている。

おばあちゃんが亡くなった日のことはとてもよく覚えている。おばあちゃんの昔の教え子のHさんがいらしていた。当日の朝「今日は先生、これまたすっきりしてすごくいい顔をしとるわ〜」と、介護をしていた母と二人で話していた。それを聞いたわたしは寝たきりだったおばあちゃんの顔をわざわざ見に行って、そのすっきりしたいい清々しい顔を見て納得したのをよく覚えている。天気も最高、ものすごく気持ちが良かった。

中学校3年生で受験を控えていた私は、その日の夕方塾に行く準備をしていた。そんな中おばあちゃんの容体が急変した。こんな状態で塾にいけるはずがない。塾に休む旨を伝える電話をしなきゃいけないが、母はそれどころではない。「牧ちゃん自分で電話をかけて」と言われるが、いざ電話をすると涙が出て、何も言えなかった。横にいた姉がなんともかっこよくサッと受話器をとり「祖母が危篤なので牧子は今日は欠席します」と言ってくれた。

当時姉は看護学校に通っていたので、母に促され応急手当てをした。少し息が戻ったかと思ったがそれも虚しく、おばあちゃんは92歳で息を引き取った。昔からお世話になっていた担当医の村上先生に来てもらい、死亡の確認をしていただいた。そのとき私も祖母の部屋にいた。
「人は、死んだら部屋の角っこに魂が移動し、己の亡骸を見るそうだ」という話を(一体どこで誰から聞いたのかは全然覚えていないが)思い出し、祖母の死を信じたくないながらに、おばあちゃんを最後までちゃんと見送らなければとの思いから、口を真一文字に結んだまま部屋の4隅をずっとずっと長いこと見ていた。4隅のうちどの角におばあちゃんの魂がいるのかわからなかったので、とにかく逃さまいと四角をキョロキョロ見ていた、側から見たら変な14歳だったと思う。
そのあとどうしていいかよく分からず、ただ茫然としていた。おばあちゃんが亡くなったのだ。我が家のドンであるシゲ子さんが。祖母は4年ほど寝たきりだったし、その何年も前から痴呆が進んでいたので、私は物心がついたときにはもうおばあちゃんと「しっかりした会話」をすることは叶わなかった。それでも、家の大黒柱である父という存在がいながらも、我が家でのおばあちゃんの存在は大きかった。どんな姿になっても我が家の「ラスボス」はやっぱりおばあちゃんだったのだ。

だからものすごく悲しかった。悲しかったけど、最後の方は寝たきりでガリガリだったし、おばあちゃん自身も苦しむことなく老衰で、しかも自宅で家族に囲まれて亡くなったというのは良かったのではないかと思う。そのあと親戚のみなさんが遠いところから来てくれて、我が家はたっくさんの人で賑わった。布団を所狭しと敷いてみんなで雑魚寝したのもものすごく良い思い出となっている。

わたしは学校でおばあちゃんの話をよくしていたし、おばあちゃんのことを作文を書いて賞みたいなものをもらったこともあった。お通夜とお葬式が終わって学校に行き、朝教室に入った瞬間クラスのみんなが私を見て一瞬で静かになったのを覚えている。それが何故なのかその時わからず、「おはよーみんな、どうしたん?」と私が言うと、みんながものすごく悲しそうな顔をして「おばあちゃん亡くなったんやね、大丈夫?」と声をかけてくれたのを覚えている。

これ書きながら色んなこと思い出したけど、私は当時から本当に素敵な友達に恵まれていたんだねー。。。みんな本当にありがとう。



なんで今になっておばあちゃんのこと書こうと思ったのか分からない。ただ彼女の存在はやはり大きい。私には霊感など全くないけど、おばあちゃんをはじめ、会ったことのない巳之吉おじいちゃん、母方のおじいちゃんおばあちゃん、そしてご先祖さまたちが私を守ってくれているのは絶対。じゃなきゃこんないい人たちに恵まれないと思う。
感謝してもしきれない。いつも本当にありがとう。

2026-02-15

Domaine du Rayolへ

 天気が良かった月曜日、車を1時間走らせてDomaine du Rayolへ。
12月にここで展示するのです。
展示室は写真の真ん中上の部分。面積はそんなに大きくないけど、とにかく場所が素晴らしすぎる。
ひできくんに出会ったのは彼の展示をここで見たからでした。

ここで展示のキュレーションを担当している女性ノルウェヌがいて、彼女のいとこがジョルジュの友人の一人であるという不思議な縁。私の作品を見たノルウェヌが私にメッセージをくれて、今回の展示公募に応募したのでした。そして無事書類審査に通って今回展示することに。

話がややこしくなったけど、とにかく不思議なご縁があるもんだ。
ひできくんも別府でレジデンスをしてたこともあり、それも不思議だなと思った。
世の中つながっている。
めちゃくちゃ天気がよくて、本当にお庭日和でした!
色んな季節にここに来たけど、冬が一番美しいかも。
まさにミモザ・パラダイス!
ここには両親と来たから、そのときの思い出も蘇ってきてすごくよかった。
また春に展示の下調べもかねて、来よう

このときちょうど、金沢美大の時の友人のしゅんぞー(はかせ)とメッセージ交換をしていた。彼は京都で高校の美術教員をしているとか、しかもこどもが3人もいて奥さんとの素敵な写真を送ってくれた。
日本の友達とあんまり連絡を取っていないのでかなり驚いたけど、きっと私の大多数の友人はみなこうして家族や仕事で忙しい毎日をすごしているだろう。わたしも私で違った忙しさがあるものの、こうしてひとりのんびり素晴らしい庭を歩いている(しかも仕事だし)のはなんか不思議な気がした。

 
コルテオ 太陽光発電