2月15日は父と2番目の姉の誕生日で、2月16日はおばあちゃんの命日。毎年姉と父の二人の誕生日を祝い、その翌日におばあちゃんのことを考えるのが恒例となっている。
おばあちゃんが亡くなった日のことはとてもよく覚えている。おばあちゃんの昔の教え子のHさんがいらしていた。当日の朝「今日は先生、これまたすっきりしてすごくいい顔をしとるわ〜」と、介護をしていた母と二人で話していた。それを聞いたわたしは寝たきりだったおばあちゃんの顔をわざわざ見に行って、そのすっきりしたいい清々しい顔を見て納得したのをよく覚えている。天気も最高、ものすごく気持ちが良かった。
中学校3年生で受験を控えていた私は、その日の夕方塾に行く準備をしていた。そんな中おばあちゃんの容体が急変した。こんな状態で塾にいけるはずがない。塾に休む旨を伝える電話をしなきゃいけないが、母はそれどころではない。「牧ちゃん自分で電話をかけて」と言われるが、いざ電話をすると涙が出て、何も言えなかった。横にいた姉がなんともかっこよくサッと受話器をとり「祖母が危篤なので牧子は今日は欠席します」と言ってくれた。
当時姉は看護学校に通っていたので、母に促され応急手当てをした。少し息が戻ったかと思ったがそれも虚しく、おばあちゃんは92歳で息を引き取った。昔からお世話になっていた担当医の村上先生に来てもらい、死亡の確認をしていただいた。そのとき私も祖母の部屋にいた。
「人は、死んだら部屋の角っこに魂が移動し、己の亡骸を見るそうだ」という話を(一体どこで誰から聞いたのかは全然覚えていないが)思い出し、祖母の死を信じたくないながらに、おばあちゃんを最後までちゃんと見送らなければとの思いから、口を真一文字に結んだまま部屋の4隅をずっとずっと長いこと見ていた。4隅のうちどの角におばあちゃんの魂がいるのかわからなかったので、とにかく逃さまいと四角をキョロキョロ見ていた、側から見たら変な14歳だったと思う。
そのあとどうしていいかよく分からず、ただ茫然としていた。おばあちゃんが亡くなったのだ。我が家のドンであるシゲ子さんが。祖母は4年ほど寝たきりだったし、その何年も前から痴呆が進んでいたので、私は物心がついたときにはもうおばあちゃんと「しっかりした会話」をすることは叶わなかった。それでも、家の大黒柱である父という存在がいながらも、我が家でのおばあちゃんの存在は大きかった。どんな姿になっても我が家の「ラスボス」はやっぱりおばあちゃんだったのだ。
だからものすごく悲しかった。悲しかったけど、最後の方は寝たきりでガリガリだったし、おばあちゃん自身も苦しむことなく老衰で、しかも自宅で家族に囲まれて亡くなったというのは良かったのではないかと思う。そのあと親戚のみなさんが遠いところから来てくれて、我が家はたっくさんの人で賑わった。布団を所狭しと敷いてみんなで雑魚寝したのもものすごく良い思い出となっている。
わたしは学校でおばあちゃんの話をよくしていたし、おばあちゃんのことを作文を書いて賞みたいなものをもらったこともあった。お通夜とお葬式が終わって学校に行き、朝教室に入った瞬間クラスのみんなが私を見て一瞬で静かになったのを覚えている。それが何故なのかその時わからず、「おはよーみんな、どうしたん?」と私が言うと、みんながものすごく悲しそうな顔をして「おばあちゃん亡くなったんやね、大丈夫?」と声をかけてくれたのを覚えている。
これ書きながら色んなこと思い出したけど、私は当時から本当に素敵な友達に恵まれていたんだねー。。。みんな本当にありがとう。
なんで今になっておばあちゃんのこと書こうと思ったのか分からない。ただ彼女の存在はやはり大きい。私には霊感など全くないけど、おばあちゃんをはじめ、会ったことのない巳之吉おじいちゃん、母方のおじいちゃんおばあちゃん、そしてご先祖さまたちが私を守ってくれているのは絶対。じゃなきゃこんないい人たちに恵まれないと思う。
感謝してもしきれない。いつも本当にありがとう。

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