2022-02-28

Vitréでワークショップ

ホテルでびっくりするほどグッスリ寝て、ドキドキしながら仕事へ。
 
全部で受講生は10人なんだけど、10代の若者ばっかりと思い込んでいたらなんと全員大人だった!しかもやる気満々の皆さんだった!
中にはこの美術学校に夜間生徒として通っている方もいて、絵の具に慣れている方もいた。ほとんど初心者で絵を普段使わない人も、めちゃくちゃ良い作品作っててよかった。
 
にしても今回はなかなか力作ばかりでした!すごい
絞り染めもちょっとやったり。
良い色〜
でもこれを作った方は「気に入らない!」と言って、わたしにバレないようにこのあとゴミ箱に捨てていた。笑 それを聞いてわたしは目が飛び出るほど驚いた。こんなに綺麗だったのにね〜人それぞれ感じ方が違うものだ
 
 これすごくポップで可愛い
1日目が無事終了すると、遠くから参加していた方が同じホテルに泊まっていることが判明し、彼女と別の受講生の方と3人でアペロ(飲みながらダベる)。彼らの作品とかも見せてもらったりして、なんと3時間!!!!あっという間だった。。。それにしてもこんなお喋りすることになろうとは。。びっくり
 
 
 
翌日はグループになって、大きな巻物作品を作ってもらった。
みんなインクに慣れてきた
自分で言うけど、みんなめっちゃ楽しそうだった〜。
中にやたら自分に厳しい人がいて、難しかった。
わたしが少しでも褒めると
「わたしを喜ばせようと無理して言ってる?」と言う。
調子はどう?と聞くと
「自分が描きたかったのはこんなんじゃない」と答える。
 
それだけ自分に厳しくできるの、すごいストイックと向上心だよなぁ。

彼女はそれでいいかもしれないけど、
実際のところ
私は正直に彼女の良さを見つけて褒めているのにそれを否定されてしまって、わたしが傷ついてしまった。途中、どうせなんか言っても否定されちゃうしなー何も言わないでいいかなーと思って、ちょっと心が折れそうになった。
なんかそれがものすごく悲しかったのだった。
 
でも自分が良いと思ったところを少しでも具体的に説明したら、最後の方は少し分かってもらえたように思う。なかなか手ごわい相手であった。笑

 

合計で10時間、あっという間だった。
ちなみにVitréはフランス(ブルターニュ?)でも有数の失業率が「低い」地域なんだとか。産業が発達していて工場地帯があり、豊かなんだとか。みんな仕事があるって、すごい。だから学校もケチケチしてないし?すべての準備がスムーズに行った気がします。
 
ある日突然メールが来て「ぜひ講師に」というお誘いだったけど、忙しいけどやってよかったーお呼びがかかるのが有難いです。

流し込みから南へ

流し込みが無事終了し、あとは1週間ゆっくりじっくり冷やす。
 
感動の余韻に浸っていると、職人たちは次々にお昼ご飯を食べに自宅に帰って行った。早朝からおよそ2トンものブロンズを溶かして大仕事を終えたはずの彼らが、何事もなかったかのようにものすごく軽い口調で「じゃあね〜」「よい週末を〜」といって去っていく様を見るのは誠に滑稽であった。
 
 
関係者と一緒にお昼ご飯を食べに近くのレストランへ。
さすがにみんな大プロジェクトを終えたばかりなのか、美味しそうにビールを飲んでいらっしゃった。わたしは実はその午後にも仕事があったのでビールは遠慮した。(なんでこんなときに別の仕事があるのか!と100万回思った)
 
 
打ち合わせがあるので皆んなをレストランに残し、わたしは車を走らせた。
向かう先は Vitré(ヴィトレ)。Rennes(レンヌ)から東に20〜30㎞ほどいったところ。
ここに造形美術学校(一般市民や高校生以下の学生に向けた美術の授業をするところ)があり、そこで週末2日に分けてワークショップをする仕事があったのだ。
 
学校に着いてびっくり。校舎っていうか設備がすごくて、綺麗。画材も豊富に用意してあって、すごく良い環境だった。わたしはそこの先生たちと軽い打ち合わせをし、そして用意してもらっていたホテルに直行。

そして夕方、オンラインで別の壁画プロジェクトのプレゼン。これが決まればまた大きな壁画を描くことになる。なんかここ1年でわたし壁画専門アーティストみたいになってきている。。でも大きな壁に絵の具を広げていく感覚はやっぱり大好きで、体力の続く限り実行していきたいな。
 
 
それにしても我ながらめまぐるしい日だった。。。
 
 

2022-02-26

流し込み。

流し込みを待つ鐘(の周りの造形)。 土に埋まっている。あっつあつのブロンズが、左奥から流れてきて右の通路を通って真ん中へたどり着く。
大量の薪。
窯。
みんな汗ダラダラになりながら薪をめいっぱい入れて温度を徐々にあげていく。
窯の中は異世界。
最終チェック。
美しい世界。
 
 
いよいよ時計は11時を過ぎる。
今回集まったのは全部で20人くらい、ほとんどがフォントヴロー修道院関係者。
 
専用の防護服に身を包む。これ消防士が着るやつ!ずっしり重い。
この私が立っているところ、実は一番鐘に近い。
「『牧子の』鐘なんだから!」ということで、社長夫人が「牧子はここにいて、全部を見届けなさい!」と言った。ものすごく恐れ多い感じがしたのだけど(あまりに近くて)、でも確かにそうだ、わたしが責任を持って装飾を手がけたのだから、ここは自信を持って流し込みを、鐘の誕生を見届けようではないか!と思った。
 
この時点ですでに込み上げるものがあり、実際目には涙が溢れていた。文章ではとても表現できない美しさがその場でみんなに共有されていた。
 
そのとき社長夫人が「窓に蝶がいる」と言った。
こんなときに、蝶?と思ってふっと見た瞬間 以前どこかで読んだ「蝶は故人の魂を表している」 というのを思い出した。すると自然に(勝手に)みのきちさんとシゲ子おばあちゃんではないかと思った。
実は鐘の制作中、お守りとして持ってきていたおじいちゃん(父方の祖父で、岸田劉生の弟子だった名も無き画家)の筆を、ひょんなことから使うことになったから。あくまでお守りであって、大切な筆は使うまいと思っていたのに。
 
鐘のいく先を見届けたかったのか、蝶になってやって来た?
 
もちろんただの憶測だし そういうスピリチュアルな話は苦手、という人もたくさんいる。でも勝手にそう思ってもいいじゃないですか!
 
 
 
いざ準備が整い、流し込みが始まる。
たったの一回勝負。空気がめちゃくちゃピリピリする!ちょっと怖い。けど、めちゃくちゃ美しい。
 
 
 
流し込み自体はものの3分くらいで終わってしまう。一生で一度見るか見ないかのこのシーンを目に焼き付けるために写真は撮らなかった。あっという間だった。
 
無事終わって、鋳造所の職人らと私で撮影。みんなかっこいい!
これはフォントヴロー修道院のアートディレクター・エマニュエルと私と社長。
エマニュエルは私よりも号泣しており、私がかなり驚愕した。っていうか見ていた人みんな泣いてた。多分職人の大半も、号泣とまではいかないにしても、目が赤くなっていた。
 
今まで頑張って来てよかったな…

北へ!

ニースからナントに戻った日、空港から急いで家に帰る。
 
(ナントに着いた途端どんより雲。あの青空は一体どこに…)
 必要な荷物をザザザーっとまとめて10分も経たずに車に乗り込む。2時間後にはレンヌでとあるプロジェクトの下見があったのだ!
 
北に車を走らせる。
久々に長い距離の運転、やっぱり自分の車はいいなー!
 
まだ詳しくは書けないけど、レンヌ近郊でまた大きめのプロジェクトが始動している。現場の写真を受け取っていたのだけど、実際に場所を訪れると唖然とするようなスケール&美しさだった。モチベーションが爆上がりして、インスピレーションもたくさん受けた。制作期間は今夏、今からめちゃくちゃ楽しみです。
 
 
それが終わるとソッコーでまた北に車を走らせる。
今度の目的地は鐘の鋳造所。翌朝5時からブロンズの流し込みなので、ワクワクドキドキだった。
 
夕食はみんなで。鋳造所の社長夫妻、フォントヴロー修道院のスタッフのみんな、2ヶ月ぶりに会えてめっちゃ嬉しかったーーーーーーーー この安心感っていったら、、もうなんか家族みたいになってきた。日本の話、鐘の話、みんなのヴァカンスの話、どうでもいい話、くだらない話、ウクライナの話、、、
 
翌朝5時集合なので早めに解散。
翌朝全員、早朝の4時55分に鋳造所の門の前に集合した。
 
鋳造所の職人二人がちょうど5時に点火。
そのあと石炭と薪で釜の温度を上げ続け、ついに午前11時ごろ釜の温度は1300度に達した。その間私たちは火を見たりプロジェクトについて話し合ったりコーヒーを飲んだりホテルに戻って朝食をとったり。

続く

2022-02-25

クライミングとか

ニースでの短い滞在中、エスカラード(クライミング?)をした。初めてだったけど、最初怖かったけど少しずつ挑戦していくと、最後はとても楽しかった。1時間くらいやって、最後は力が全然入らないくらいクタクタに。

 
 ジェレミーに短パン借りた。ちょうどなサイズだった。笑
頑張ってとにかくぶら下がってるだけ。笑
壁の角度がすごい。
ジェレミーは友人らと数回来たことがあるだけで、特に上級者ではないらしい。けど腕も足もめちゃくちゃ長いのですごく楽に登っていく(ように見える)。
モデル体型、うらやましー!
朝ごはん。
ジェレミーの別の名は、フルーツ王子。(私が勝手に名付けた)
別の日にはわたしの要望で甘ったるいドーナツを食べた。
二人でアニメーションの仕事を進めたり、休んで散歩にでかけたり、あと展示設営もした!
これは別の参加アーティスト。


 
 
 
ニースの素晴らしい滞在はあっという間に終わり、飛行機でナントに戻った。普通国際線はフライトの2時間前に空港に到着していなきゃいけないけど、国内線は実は30分前くらいでも大丈夫なんだね。到着がギリギリで焦ったけど、普通に間に合いました。
楽しい時間はあっという間に過ぎてしまうものだ。

2022-02-21

ニースへ

フランスに戻って来たばかりなんですが、1日ナントで過ごして(3回目のワクチンを朝一でソッコーで打って)翌日すぐにニースにやってきました。あんなに長いこと飛行機に乗って来たのに、また飛行機に乗った。
 
ニースの空港にはジェレミーが迎えに来てくれたのだが、2009年にこちらに来てから、誰かに空港まで車で迎えに来てもらったのは初めてだったかも。パリに着いてもナントに着いてもロンドンに着いてもどこにいっても、元彼らは免許持ってなかったし。私が誰かを空港に送るばかりだった。
 
そんな些細なことなんだけど、ジェレミーの車に揺られながら、少し感動してしまったのだった(笑)ありがてぇ、、、と。(カナダにレジデンスで行った時はレジデンス先のJMが迎えに来てくれたけど、仕事上のことだったからね)
 

 

そんなこんなでおよそ2ヶ月ぶりにジェジェックスに会えた!!!めっちゃくちゃ嬉しかった〜!毎日オンラインで会話していたとは言え、生ジェレミーはやっぱり良かった。
 
 
海が澄んでる。
 
ニースには2009年の夏、来たことがあった。
それから一度も来てなかったからおよそ12年半ぶり。あのときは将来ニーソワ(ニース人)と付き合うことになるとは1㎜たりとも思わなかったなぁ…

建物が本当にチャーミングで可愛い。色も本当に豊か。
この日は天気が悪くてジェレミーは残念がっていたけど、金沢生まれナント在住の私にとっては最高なお天気日和なんですけど。
丘に登ってChâteau de Niceへ。
階段をはーはー息を切らしながら登る。
自然と光が私たちを待っている。
ニースの街は彩色が本当に豊かだ。パレットの絵の具をそのまま出したような鮮やかなものばかり。ジェレミーが描く絵はとても彩度が高くカラフルなものが多いけど、街を散策していて納得した。こんな素敵なところに生まれ育ったら、そりゃそうなるわ!
 
 
昔来たはずの街が全然違う町に見える。本当に不思議だけど、この12年間 私にもニースにも色々あったのだねぇ
 

ニースの風景+説明しているジェレミー手


2022-02-18

夢の国から現実へ

成田から出発してちょうど24時間経ったころやっとパリに着きました。これでいちおうは一安心なんだけど、なんせ地方に住んでいるので 家に帰るまでが遠足。。
 
 
 
ちなみにわたしがワクチン保持者かどうかなんて、一度もチェックなかったです。日本の空港職員があれだけ念入りにチェックした書類たちも、すべてただの紙切れになった。パスポートチェックもいつもの通り、わたしのパスポートをパラパラ見て
「SA YO NA RA !!!」
 と自信満々に言われて、この人間の違いに笑わざるを得なかった。笑
 
 
 
(こちらトランジットのアブダビで荷物整理してたら、みゆきちゃんからもらったコレが出てきて感傷に浸る、の写真)

 
電車に乗って帰りたいけど、
数日前からシステムが変わったフランス政府の「衛生パス」のせいで、今やわたしのワクチンパスは無効らしい。まだ2本しか打ってないので、24時間以内の陰性証明がないといけないらしい。めんどくさいが仕方がない。
 
空港でテスト実施しているので、さっそく向かう。
 
 
(関係ないけど、こちら出発前に羽田で受けた陰性テストの場所で。唾液採取のためだけど、面白い。この写真ほしい!)
 
そこの職員の方の対応があまりに冷たくて、「あぁフランス帰ってきたー」って実感した。わたしは結果が早く出る抗原検査 を受けたかったのだが、ついついPCR検査のための申込み用紙に記入していた。紙を提出するときにやっと気づいて
 
「あ、すいません、わたしが受けたかったのは抗原検査なんです」というと、担当職員がため息をひとつ大袈裟について、

「だからさっきPCRか抗原検査か聞いたじゃないですか!」

と逆ギレしてきた。笑
おおおおぉぉぉぉこれこれーーーー
ここ1ヶ月半お預けになっていた、この冷たい感じ。
 
 
 
 
そのあと無事陰性のテスト結果(鼻グリグリの方)が出て、すぐパリ市内に向かう。
 
RERのB線(しかも特急)に乗っていたので35分くらいで市内に着くと思っていたのも束の間、電車が停車しアナウンス。
 
「人身事故が発生しました。しばらく停止します」
 
 
その後結局とある駅に停車し、全員下車を求められた。
ホームは最強にごったがえす。。みんなイライラ、不安。
 
しばらくして駅の職員らしき女性が支持を出している。
 

乗客はその女性に詰め寄る。みんな、めっちゃ、キレる。
しかしその職員は負けない。とてもサバサバと言った
 
「どうしようもないことなんです!!電車はどうやっても動きません!今も電車の下に人が挟まっているんですから!!!
電車はこれから2時間は動きません!パリに行くならあそこにあるトラムに乗って、○○まで行って、RERのE線に乗り換えてください!」
 

ホームにいた人は全員それに従う。
 
 
わたしは25キロ近いスーツケース+巨大なリュックサックを持っていたし、移動はかなり苦労した。案の定トラムは激混みとなった。コロナ、大丈夫かいな、、、しかもギリギリになってトラムに乗り込む人が大量におり、その人らを見た中の乗客がひどい罵声を浴びせる。めちゃくちゃにいがみあう乗客たち。

日本から戻ってきて、この現実と向き合うのには正直かなりキツかったけど、内心可笑しくて可笑しくてたまらなかった。
あぁわたしフランスに戻ってきたんだわ・・・と。


そのあとRERに乗り換えるとき、駅構内のエレベーターでとあるおばあちゃんと二人きりになった。自然と世間話を話す流れになり、わたしは日本から帰国したばかりで2年ぶりに家族と会えたと言うと自分のことのように喜んでくれた。彼女は昨日息子と喧嘩をしたことなどを話したけど、そういうこともあるよねぇーと、心底同調してたらこの短い時間にとても意気投合した(笑)
 
 
さっきまでトラム内で人間たちの醜いバトルが繰り広げられていたけど、少し経てばこんな風に見知らぬ人と面白い世間話ができるのだった。なんかこの数時間でフランスのいい面悪い面を全てダイジェストで見せられた感じした。。
 
 
 
 
 
 
その後はとくにハプニングもなく、無事ナント行きの電車に駆け込み、無事自宅に着きましたー
シャルルドゴール空港についてから自宅に着くまで
約7時間もかかった。。。 遠すぎ!
 

アブダビ経由

ついに日本を発つ日がやってきたけど、悲しいやら嬉しいやら疲れたやらで、どんな感情を持っていたかよくわからないまま飛行機に揺られていた。

東京の思い出。

気づいたら大分ゴリ押し人間になってしまった。
なんかいい
ガラガラの成田空港。国際線出発ロビー。 
 
Etihad Airwaysを利用して、アブダビ経由でパリへ。
受付カウンターのお姉さんが、各旅行者の書類を舐め回すように見ていてちょっと引いた。笑


数日前在仏日本大使館から一斉メールで
「フランス入国に関して、ワクチン接種済みの者はどの国からの渡航者であっても入国時に陰性証明の提示が不要になりました」
と言っていた。でも一応念のため私は木下グループでPCR検査を受け、陰性証明を用意していた。
 
陰性証明を見せるとお姉さんは開口一番
「これでは残念ながら、どのPCR検査をされたのか分かりません。なので渡航はちょっと…」と言いだした。確かに英語表記だと「PCR test」としか記入されておらず。
 
はあああぁぁ???しらんがなーーーー
 
と叫びたくなった。
 
でもめげない。
もともと私フランスに行きたいんだし、本来なら陰性証明は不要と主張する。

カウンターのお姉さんに日本大使館のメールを携帯で見せる。彼女はそのメールをまた舐めるように読み、しぶしぶオッケーをだしてくれた。
お姉さんは最後「すみません、やっぱり慎重になってしまって…」と言ってくれたが、にしても時間かかりすぎだし慎重になりすぎだよ。。。
 
ちなみに私の横でチェックインしてた人は、「陰性証明が紙に印刷されてない」という理由でコンビニに印刷しに行かされていた。この2022年に??!!まじありえない!!!こういう紙にこだわる感じがなんとも日本ぽくて、あっぱれな具合に遅れている。かなり驚いた。

 
フライトの3時間前に余裕で着いたと思ったら、結局カウンターで待ち時間入れて1時間半かかった。
 
 
ガラガラの空港。
 
機内はガラガラ。 
 
 
アブダビの空港、コーランが流れたりしてた。
ちなみにトイレにはこういうビデがあった。
アブダビからパリの飛行機はほぼ満席だった!!!
コロナ前に戻った感じだった
 
 全部で24時間くらいかけてパリに着いた。遠かったー
  

 
 
コルテオ 太陽光発電