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2026-10-09

結婚式第二弾

シャモニーにつきましたー!
4時間の運転もありクタクタ。その日は古市家みなさん速攻で就寝。 
翌日は結婚式第二弾!

朝からアトリエに寄って会場に飾る私の作品をとりに行って、その足でレンタカーを市内に返しにいった。ボルドーから2日でおそらく1000kmほど走ったと思うのだけど、車は意外に綺麗だった。そのせいか、返す時のチェックが甘々でびっくり。スタッフの人がガソリン満タンになっているのを確認、一度エンジンを入れる、そして車の周りを一周して「いいですよー」とな。
あまりに簡単すぎてこちらが「え?もう?いいんですか?」と拍子抜けしました。

そのあと古市家のみなさんが泊まっているシャレ(山小屋風民宿)へ。


友達で美容師のキャプシーヌが結婚祝いとして、髪の毛を担当してくれた。

この日はジョルジュ、着物を着ました。昔わたしがお父さんから受け取った男物の着物、ジョルジュにピッタリ!父・母に加えおぴろさんも手伝ってくれる。

キャプシーヌ、姪っ子ちゃんの髪の毛もプレゼントで綺麗にしてくれた!あなたなんて素敵な人なんだ!どうもありがとう!

ブーケは、今回こんな形のものを注文!ボルドーでは義妹ちゃんがプレゼントしてくれたものだったけど、こちらも素敵!どっちもよい!!!
慌ただしいまま会場へ。

父母と入場し、みなさんの前に到着。

おぴろさんがとっても素敵で面白いスピーチをそつなくこなし(しかも仏語!)、そのおかげでジョルジュは緊張がほぐれたのだとか。(後日談)

そのあと二人で一緒に考えた近いの言葉というか、スピーチを一緒に読みました。日本語とフランス語で。ジョルジュ、日本語めちゃくちゃ頑張った!ひらがなをこんなにスムーズに読めるようになっていたなんて、驚きました。

私はというと、最初の方スピーチを読み始めたら、急になんだかめちゃくちゃ泣けて来て。あろうことか全然読めなくなった。ここにいる大好きなみなさんがわざわざはるばるこんなところに来てくれたのは本当に幸せなことだーと、みなさんの顔を見ていたら嬉しくって嬉しくって。涙も出るわ、鼻水も出るわ。。。
みなさんの前でただひたすら泣いていたら、なんとまぁおぴろがサッとやってきてハンカチ貸してくれた。どこまでかっこいいんだ、ありがとうおぴろ様!あなた本当にすごい人だ。


そして無事スピーチは終了し、とりあえず飲んで食べます!
写真家2人と一緒にパチリ。
そのあとずーーーーーと色んな人と話をしていて、食べる暇も飲む暇も一切なく!!!自分の結婚式なんだから当たり前なんだけど笑
私の両親、ジョルジュの両親のスピーチがとても素晴らしく、多くの方が感動されていた。。。素敵な言葉をみなさんありがとうね。。。
参加してくれた友人らのみなさんには「初めて結婚式で泣きそうになった」とか「こんなに暖かく素敵な式は初めてだ」とたくさん言ってもらえた。おそらくそれらはこの両親らのお言葉のおかげだと思う。

そして兄の子どもである私の姪っ子ちゃんはダンスがあまりに上手すぎるのだが、なんと急遽「踊る!」と言ってみんなの前で踊ってくれたのだ。この決断には兄もびっくり、最初心配で大丈夫かな、無理させちゃったかな、、、と見ていたら、そんなおばさんの心配はなんのその、一人で気持ちよさそうにダンス爆発してた!!!これには出席者みんなが仰天して、あとで「まきこの姪っ子すごかったねー!」と他方から言われることとなりました。
姪っ子ちゃんがあんなすごい踊りを披露してくれて、わたしがどれほどおばとして鼻が高かったか!本当に素敵なプレゼントをありがとう!!



そのあと宴は深夜まで続き、早朝にお開きになりましたー!
家に着いたのは3時、クタクタに疲れすぎていて逆に全然眠れなかった。

でも眠る前にジョルジュと指輪をはめた手を見せあって、これで正式に結婚出来たねぇとしみじみしましたとさ。

2026-10-05

結婚式当日

結婚式当日はジョルジュ母家のどこもかしこも、誰もかもが大忙し!私はこの日のために実は6ヶ月も前から着物を1から手作りし、着方もYouTubeなどを見て猛特訓していた。(17年前、渡仏する直前に浴衣の着方を母の知り合いの方に習った経験があったので、少しはハードルが低かった。それが無かったらさすがに出来なかったかも)

何度も挫折して、出来ないーーと泣きながらジョルジュに電話したこともあった。それらしく作れたはいいものの、美しく着るのが本当に難しい。しかも着るために多くの道具が必要で、それもほとんど自分で手作りした。。。帯と草履以外は全て自家製です。


当日一人で着る予定だったけど、思いがけず私の証人であるおピロさんが手伝ってくれた。服飾関係で働く彼の存在はとてもとても助かった!!!(本当にありがとうおピロ様!)
髪の毛も自分でしたのだけど、華やかにするために私のフランスの兄が、ジョルジュ母家の庭でお花を摘んできてくれて、それはそれは上手に飾ってくれた。
すべてはこのナイスな2人の証人のお陰!ほんとうにありがとう、、、
(c) Tomasz Namerla


お父さんお母さんと一緒に入場。
入場といっても、市役所のお庭に開設された場所で結婚のサインをしましたー!
(c) Tomasz Namerla
着物を作っていたのはジョルジュももちろん知ってたのだけど(元々ジョルジュが私にその話を提案したので)、実際に着物を着た私を見たのはその時が初めて。草履を履いていたので歩く速さが遅かったのだが、やっと彼の元に着いたーと思って顔を見たら、ジョルジュは大泣きしていた。笑 そして素敵な蝶ネクタイ、スーツ、めちゃくちゃかっこいい!

それを見てわたしもうぅっっと泣きそうになったのだけど、お化粧が崩れるしさすがにここは我慢!と思って関係のないことを考えてなんとかやり過ごした。市長さんがあまりに素敵なスピーチをしてくれて、そのあとの指輪交換やサインのとき、何度も泣きそうになった。。(後で聞いたけど私のフランスの兄はずっと号泣していたそうだ、ジョルジュ父も母も。うちのお父さんお母さんはどうだったかは覚えていないのだが)

こんな幸せな時間ってあっていいのか!?と何度も夢うつつでした。

自分が結婚するって本当不思議でたまらないし、今も本当に結婚したのか?と実感は湧きませんが、こうして近しい大事な皆様がわたしたちのために集まってくれた喜びや幸せは本当にかけがえのないもの。心から感謝します。

そしてこんなに素敵なジョルジュという人と一緒になれて、私は世界一幸せ者だと思った。

2026-10-02

結婚しました

突然ですが、結婚しましたー!

更新が滞っていたのもそのせいで、実は1年ほど前から少しずつ予定をたてていたものの、仕事の日程と結婚式の日程が完璧に被ってしまい、結局すべてこなしたものの、てんやわんやの2週間でした。
ジベルニーの展示終わって
家族来仏
市役所での結婚式
翌日には家族を連れて別の展示のオープニングパーティ(兄と合計800km運転)
そして結婚パーティ
家族を空港まで見送ったら
さらには引越し!

めちゃくちゃ忙しかったーーーー



でもすべてのひとときが愛おしく、オーガナイズは大変なものだったけど、本当に本当にやってよかった。。。あんな幸せなひとときを味わえるなんて、今考えても信じられない。これもそれも何もかも、みなさんのおかげです。

ちょっとずつ振り返っていくけど、まだ疲れが完全に取れてないので少しずつ。


2026-02-16

おばあちゃんの話

2月15日は父と2番目の姉の誕生日で、2月16日はおばあちゃんの命日。毎年姉と父の二人の誕生日を祝い、その翌日におばあちゃんのことを考えるのが恒例となっている。

おばあちゃんが亡くなった日のことはとてもよく覚えている。おばあちゃんの昔の教え子のHさんがいらしていた。当日の朝「今日は先生、これまたすっきりしてすごくいい顔をしとるわ〜」と、介護をしていた母と二人で話していた。それを聞いたわたしは寝たきりだったおばあちゃんの顔をわざわざ見に行って、そのすっきりしたいい清々しい顔を見て納得したのをよく覚えている。天気も最高、ものすごく気持ちが良かった。

中学校3年生で受験を控えていた私は、その日の夕方塾に行く準備をしていた。そんな中おばあちゃんの容体が急変した。こんな状態で塾にいけるはずがない。塾に休む旨を伝える電話をしなきゃいけないが、母はそれどころではない。「牧ちゃん自分で電話をかけて」と言われるが、いざ電話をすると涙が出て、何も言えなかった。横にいた姉がなんともかっこよくサッと受話器をとり「祖母が危篤なので牧子は今日は欠席します」と言ってくれた。

当時姉は看護学校に通っていたので、母に促され応急手当てをした。少し息が戻ったかと思ったがそれも虚しく、おばあちゃんは92歳で息を引き取った。昔からお世話になっていた担当医の村上先生に来てもらい、死亡の確認をしていただいた。そのとき私も祖母の部屋にいた。
「人は、死んだら部屋の角っこに魂が移動し、己の亡骸を見るそうだ」という話を(一体どこで誰から聞いたのかは全然覚えていないが)思い出し、祖母の死を信じたくないながらに、おばあちゃんを最後までちゃんと見送らなければとの思いから、口を真一文字に結んだまま部屋の4隅をずっとずっと長いこと見ていた。4隅のうちどの角におばあちゃんの魂がいるのかわからなかったので、とにかく逃さまいと四角をキョロキョロ見ていた、側から見たら変な14歳だったと思う。
そのあとどうしていいかよく分からず、ただ茫然としていた。おばあちゃんが亡くなったのだ。我が家のドンであるシゲ子さんが。祖母は4年ほど寝たきりだったし、その何年も前から痴呆が進んでいたので、私は物心がついたときにはもうおばあちゃんと「しっかりした会話」をすることは叶わなかった。それでも、家の大黒柱である父という存在がいながらも、我が家でのおばあちゃんの存在は大きかった。どんな姿になっても我が家の「ラスボス」はやっぱりおばあちゃんだったのだ。

だからものすごく悲しかった。悲しかったけど、最後の方は寝たきりでガリガリだったし、おばあちゃん自身も苦しむことなく老衰で、しかも自宅で家族に囲まれて亡くなったというのは良かったのではないかと思う。そのあと親戚のみなさんが遠いところから来てくれて、我が家はたっくさんの人で賑わった。布団を所狭しと敷いてみんなで雑魚寝したのもものすごく良い思い出となっている。

わたしは学校でおばあちゃんの話をよくしていたし、おばあちゃんのことを作文を書いて賞みたいなものをもらったこともあった。お通夜とお葬式が終わって学校に行き、朝教室に入った瞬間クラスのみんなが私を見て一瞬で静かになったのを覚えている。それが何故なのかその時わからず、「おはよーみんな、どうしたん?」と私が言うと、みんながものすごく悲しそうな顔をして「おばあちゃん亡くなったんやね、大丈夫?」と声をかけてくれたのを覚えている。

これ書きながら色んなこと思い出したけど、私は当時から本当に素敵な友達に恵まれていたんだねー。。。みんな本当にありがとう。



なんで今になっておばあちゃんのこと書こうと思ったのか分からない。ただ彼女の存在はやはり大きい。私には霊感など全くないけど、おばあちゃんをはじめ、会ったことのない巳之吉おじいちゃん、母方のおじいちゃんおばあちゃん、そしてご先祖さまたちが私を守ってくれているのは絶対。じゃなきゃこんないい人たちに恵まれないと思う。
感謝してもしきれない。いつも本当にありがとう。

2026-01-01

新年

 明けましておめでとうございます!
2025年はたっくさんのプロジェクトに出会いに、駆け抜けた年でした。
ジョルジュと新年を地元金沢で迎え、その後ポンピドゥーセンターでの仕事、パリのギャラリーで個展、フィンランドにも行き、秋から冬にかけて大きな個展ふたつに両親の来仏。大きな月の制作。
我ながら頑張りました!そして相変わらず素晴らしい人たちに恵まれて幸せな身分だなぁとしみじみ思いました。



毎日の生活は慌ただしくも、このブログを書くことによってちょっとだけ丁寧に、過ごすことができていると思います。文章化したり写真に残すことで日々をただ消費しないようになっていると思う。それもこれも日々ブログを読んでくれている皆さんのおかげです。ありがとう。





年末、結局3回海に入った!
確かな水温はわからないけど、冷たいです!でもキャップ、靴、手袋もしているので大丈夫。海に入っている時は全然寒くない。
キャップをかぶる私。鳥みたい🐤​笑
準備
手袋装着。
いざゆかん〜!相変わらずビギナーだけどーー!!!

おそらく冬のサーフィンの1番の苦労は靴とウェットスーツを脱ぐ時。外の気温が低く、しかも水である程度の砂を落とさなければいけない。しかもスルッと脱げればいいけど、それがまた難しい。
でもそのあとに待っている暖かいシャワーを浴びる瞬間。そのあと服を来て暖かい飲み物を飲む瞬間がなんとも言えないくらい祝福です。
今年は39歳になる。
無理はせず少しずつでも運動を続けていきたい。

2025-02-15

心がえぐられる

バレンタインデー、ランチは友人のトマッシュと。
ジョルジュは2週間ほど前にフランスに戻ってきてはいるんですが、シャモニーにいるから!

大きいバラがテーブルに。
タルタル(なま肉)を!
デザートも
横で食べていたカップルが、ランチの時間帯も終わりごろ、そこらじゅうのテーブルのバラをかき集めて写真撮ってた。すごいかわいかった〜!!!

今借りているアトリエはめちゃくちゃ寒くて湿度が高い。だからユニクロのヒートテックを重ね着し、シャモニーで買ったスパッツ(と言うのか?今頃はなんと呼ぶんだろか)を履いて毎日臨んでいる。
散歩もする。
この白い部分、髑髏の横向きに見える!

ナントのとても近しい友人に私の私生活のことをとやかく言われた。
少しお酒が入っていたからかわからないけど、かなり攻撃的であった。

文化大臣がわたしの展示を訪問したことを私がSNSでシェアしたことを話にあげ、「なんでそんなことをしたのか」「ありえない」と猛烈に批判。ついには「まきこは南に引っ越してから変わってしまった」「牧子は、前はオルタナティヴなバンド・デシネや本のアーティストらと交流があったけど今はもう、お金が集まる現代アートの世界を選んだものね」とすごく嫌味を言われた。しまいには私の大好きなトゥーロンの友人らのことも批判しはじめ、流石に私も痺れを切らした。
(彼女は私がパリのギャラリーと契約したことを喜んでくれていたけど?)


現文化大臣の政治理念とか政党とか、もちろん知った上で私はシェアした。たとえ考え方が違ったとしても、大臣は会見で「アートテックの活動を支援する」と発言したし、このご時世こういった良い知らせはシェアしてなんぼ、と私は思っているから。私はアートテックのスタッフとも仲がいいし、彼らにとってこの助成制度の提案はかなり有り難かったから。あと右が、左が、といって根本的なところから毛嫌いしているとなんの解決法にもならないじゃないか。。。


そして私の活動や私生活についてとやかく言われたのもかなり吐き気がしたものだ。彼女は私のトゥーロンの友人らを批判しはじめ、(一度も会ってないのに)、トゥーロンのことも知りもしないのに「南仏は〜」と批判。。
そして、私はお金を稼ぐことを選んだと言うけど、まずわたし、生きるためにお金を稼がなきゃいけないんですけど。不安定な職業だから尚更。ちなみに私を非難したその人は実家が太いから豪邸を私の知る限り3件持っているし、働かなくても生活に困らない人なのだ。

お酒を飲んでいた、からと言って許される話ではない。
あんなに近しい存在だったのに、こんなに突然意味もなく批判されると思ってなかったし、すごく悲しい。しばらく会いたくない。

前から 彼女からこう言った頼んでもいない「助言」をされることが多々あり、ちょっと嫌だなぁと思っていた。今回はそれがとても攻撃的で、しかも彼女の話が彼女の「憶測」で成り立っているのを聞いて(もう勘弁してくれ…)と思った。私が活動の幅や機会が広がって、喜んでくれると思っていたけど、逆だった。
実際私が辛い時に何度も助けてくれた大事な人だったのに。怒りというよりか、めちゃくちゃ悲しい。


わたしという存在が、お金持ちの夕食の話題になっているだけという感じもする。みんな暇なんだろうか。

2025-01-30

富士額

レオのオープニングの翌日、本当に声という声を失った。声を失うということがこれほど日常生活に影響があると思ってなかった。
スーパーに行く時はセルフレジのところを選ぶようになった。挨拶しないで済むから。
パン屋でサンドイッチを買う時、が一番困った。
オフィスでみんなに話したいことがいっぱいあるのに、何にも言えない。


2日後くらいにやっとガラガラ声が出るようになった。
何百年も前から生きてる魔女っぽいなーと思った(会ったことないけど)。それか「ハスキー声の女ヤクザ」とでも言おうか。(会ったことないけど)

そんなガラガラ声でも、レジーヌとナオちゃんにばったりあったので3人でランチ。雨が降っていたのでマフラーを頭に巻くレジ〜ヌ巻きをして写真撮った。
なおちゃんに「まきちゃんのおでこは富士額だね!」と言われた。(この写真じゃ全然そんなふうに見えないけど)
フジビタイ。。。
恥ずかしながらそんな言葉さえ知らなかった!無知すぎる!教えてくれてありがとうナオちゃん。
まさか自分のおでこに富士山を発見されるなんて、思ってもみなかった。なんかありがたいし、神々しいなぁ。そんな日本語の表現があるんだなーと思ってレジーヌにそれを説明しようと「私のおでこにー富士山がー」と言い始めて、自分でも面白くて大爆笑しちゃった。


余談ですが、
今まで37年生きてきて初めてこんなにおでこを全開にして生活している。元はと言えばジョルジュに「牧子はおでこを出した方が絶対似合う!」と言われたからで、半信半疑でやってみると実に「楽だ」と言うことに気づいたのだった。
人の影響は計り知れない。自分でも思ってみないようなことを、人のさりげない一言が原因で出来ちゃうことだってあるのだね。以前の私なら絶対におでこをこんなに人に見せようと思わなかっただろう。ヒトは変わるものだね。




今週は大人しくアトリエで制作の毎日。
我が家とアトリエの往復をするばかりだけど、この日常が愛しいです。
声は割と取り戻したけどいまだに喉は痛い。
最初の喉の違和感から10日も経った。こんなに長引くだろうか。
あと1週間経っても痛かったら医者に診てもらおう。

2025-01-25

ギャラリストの2人がアトリエへ

私の壁画の横に、おそらく近所の若者らの落書きがあった(赤い部分)。見事に私の壁画部分を避けてくれており、ちょっと感動した!
一応何かしら「手をつけてはいけないもの」と認識してくれているんだろうか。あんやと〜
これを見てオフィスのジュリアンが「町中に牧子が絵を描いたら落書きなんてなくなるんじゃないか」って冗談言ってた。はははー



昨日は私が所属するギャラリーLes Filles du calvaireから、アートディレクターとスタッフの二人がわざわざパリからトゥーロンに来てくれました。3月末にギャラリーで個展をするので、作品の進行具合チェックと色々な打ち合わせを兼ねて。(パリから電車4時間乗ってきてくれるのが本当にすごい)

めちゃくちゃ緊張した。。。
もう数日前から全然落ち着かない!

作品もだいぶ進めてたし、出来上がってる作品もたくさんあって問題ないはずなのだが。今回は大きめの油絵を描いており、多分今までで初めてナント以外で油絵作品を発表する。今までずっと水彩とか壁画ばっかり発表してて、油彩作品からは遠ざかっていたのでちょっと初心に戻ろうと思って。一応彼女たちに伝えてはいたものの、どんなものを描いているとか言ってなかったし、かなりサプライズだった。

すごく話しやすくて(タメ口だし)、そもそも本当に良い人たちなので全く緊張する必要ないのに、めちゃくちゃ緊張した。。。結果、とても良い反応をもらったし楽しいひと時となりました〜
あああ良かったー〜ーほっとしたー〜ー


ひとまず終わって港でランチ。
あまりに強い日光が当たってびっくりするパリジェンヌたち。天気良すぎ、南!

アーティスト誰しもが有名ギャラリーに専属することを夢見ていると思う。私はいろんなご縁があって彼らと契約を結ぶことになり、とっても嬉しいのだが、実際は契約した「あと」が大・大・大・勝負。
制作はコンスタントに続けていかなければいけないし、良いものを作り続けねばいけないし、かといって似たようなものばっかり作っててもしょうがない。
ギャラリーのメンバーに入ってても全然活動してなかったら悲しいし、売れなくても悲しい。かと言って売れるからいいっていうわけでもなく、ちゃんと作品の質を上げてやアートシーンを引っ張るような野心的な作品も作れるといいよね。

いうのは簡単だけど。
なかなか厳しい世界です。

ギャラリーに入ってしまえば売れる、と思っている人が周りに多くてびっくり。そんなわけないじゃん!


それなりに苦労もあってめちゃくちゃ大変だけど、この仕事本当に好きだもんね。だから年がら年中・昼も夜も作品や展示のことばっかり考えている生活を送れている。


自分がすごくラッキーだと思うのは、ギャラリーの彼女たちがとても話しやすくなんでも打ち明けられること。カジュアルで楽な関係でありながら、ちゃんと作り手を心から尊重してくれることです。ギャラリーって本当にピンキリだから。。。

ありがとう。。。


ランチの後は3人で電車に乗ってモンペリエへ。

2024-08-12

オリンピック女子バスケットの試合

この写真、足を水の中に入れているのだけど
水が透明すぎて全然そういうふうに見えない。
今朝は水温がすごく高かった。 

昨夜はとても蒸し暑く寝苦しい夜だった。
暑い、とはいっても 我が家にクーラーも扇風機もない。でもなんとなくやっていけている程度の暑さだ。(日本だったら考えられない)
 
南に移住して嬉しいのは、「夏っぽい服」を心置きなく着れることだ。背中やくびまわりがガバッとあいた服とかおへそが見えたりする服でも、普通にきれちゃうのがいい。人の目なんてどうでもいいのだ、自分が好きなものを着るべし。
そして昨夜はオリンピックの閉会式でしたね。
 
日曜の昼間、オリンピックバスケットボール女子決勝の試合フランス対アメリカを見ていた。アメリカ6点リードの最後の最後、フランスGabby Williamsが3点、しかも残り1秒のところで2点を制した。結局1点差で負けてしまったのだが、かなり胸が踊った。諦めちゃいけない。
 
私は子どもの頃およそ10年バスケットをやっていたのだが、バスケットの試合を見ていると自分が経験した色んな場面が思い出されて最初ちょっとしんどかった。このブログにもいつか書いたと思うけど 今でも時々夢に見る。でもやっと最近になってバスケットをやっていて良かったと心から思える。バスケットに費やした時間は無駄だったと思った時期もあったけど、どうせ昔は変えられないし、良い方に解釈をしていこうと思う。
 
意味不明にしんどい練習を押し付けた指導者の先生のことは好きにはなれないし、そこまで感謝していない。水分補給をかなり制限したり、意味不明な連帯責任を押し付けた。けが人がめちゃくちゃ多かったのも、普通ではなかった。今はちょっとはマシな環境で子どもたちがバスケットを楽しんでいるといいなぁ
 
とにかくスポーツに、こどもたちに罪はない。


モリーに会いたい!
 
今アメリカに滞在中のジョルジュから連絡が来る。わたしが「暑い」と嘆いているとあちらは「寒い」と。内陸部の山間地だから、なんと朝の気温が5℃だったらしい!ひょえー
いとこの結婚式も無事終わり、いたく感動していた。オリンピックなんて全然関係ない環境にいて、なんか全然違う世界を生きてて面白いなと思った。

2024-07-19

1ヶ月間のマッチングアプリ

もう2ヶ月前くらいの話だけど
 
ある日、友人のソニーに「出会いがない」と話すとすぐに「よっしゃ牧子、マッチングアプリに登録するよ!」といって、私の代わりにプロフィールを作り始めた。
 
(実はジェレミーと別れたあと私は独り身を楽しみつつ、出会いがあまりになさすぎてちょっと退屈していた。世の中の人々が出会いを求めて一度は足を踏み入れるであろうこのマッチングアプリという世界を一度見て見たいなぁと思っていたのだった。でもなかなか勇気が出ず諦めていた。)
ソニーの提案に私が(え…!)とびっくりして反応する間もなく、彼はアプリをダウンロードし始め
「牧子の趣味は何?」
「朝型?夜型? 」
「何歳くらいの人と出会いたい?」
 
などと彼から質問責めにあった。
 
「牧子の写真送って!」と、
いくつか提供し、なんと37歳にして初めてマッチングアプリを始めることとなったのだった。
 
私が
「もうアラフォーだよ」と言うと ソニーは
「歳なんてまじで関係ないから!やってみないと分かんないよ!」
といって、そのままグイグイ進めていく。
 
すごいチカラだ。
 

私のプロフィールが出来上がって2人で喜んでいると、すぐにたくさんの通知が来た。横を見ると私よりソニーの方が歓喜(なんで?)している。牧子!すごいよ!たくさんのLIKE!と。

アジア人はウケがいいんだと思う、あと絵描きっていうのもそんなにいないだろうから、みんな面白がってるんだろう!私は人ごとのようにそれをボーっと見ていた。
 
するとソニーが
 
「じゃあ牧子、一緒に見て行こう!」
 
といって、一緒に男性らのプロフィール写真を見て
アクセプトするか(右にスワイプ)
お断りか(左にスワイプ)
をしていった。
もし相手も私のことを好いてくれていれば、私が右にスワイプした時点で

マッチング成立!
 
と出る。その度に2人で「ぎゃあああああ!マッチングしたぁぁぁあぁ」と叫んだ笑
それが面白くって面白くって、小一時間2人で爆笑し続けたのだった。
 
ソニーの男性のタイプと私のタイプ(ソニーはゲイ)はかなり違ってそれも面白かったし、ソニーというコミュニケーション能力が500万点くらいある人がどんな風にヒトを見ているのか、というのをはたから見てて面白かった。
 
 
私は1ヶ月の期限を設け、このアプリケーションを使うと決めた。じゃないと恥ずかしくてやってらんない
 

私は多くの人とメッセージを交換した。最初は物珍しさに楽しかったけれどもすぐに飽きた。全然会話が楽しくないし、だんだん興味や楽しさよりも面倒臭いが勝ってしまって、だんだん見なくなった。チャットも全然続かない。
めんどくせー!
 
男性らに関して言えば
海で上半身裸でポーズを撮っているか、
どこかの個人宅のプールサイドでスピリッツを飲んでいる写真か、
山でハイキングしている写真か、
誰かの結婚式に呼ばれてスーツ姿の写真か、
あとはなぜか車の中の自撮り。
 
みんな同じ人に見えて来る笑


そんな中、私は3人の人と実際に会うことになった。
偶然にも3人とも私(の作品)のことを知っていてその方が話が早かった。3人ともアート・文化が専門の人だった。
1人とは数回バーに飲みに行った。彼は写真より実物の方が素敵だったし話もあって面白かったが、その後私は現実世界でジョルジュに出会ってしまったので会わなくなった。
 
あとの2人は1回だけしか会わなかった。
会う前は色々話が合っても、実際に顔を合わせると全然イメージが違った。おそらくみんな実際よりちょい良さげの写真を載せているから。それでも気が合えばいいけど、なんかだめだったー 2人のうち1人はものすごくメール交換をして、込み入った話もして楽しかったし素敵な人だったのだが、私がジョルジュと出会った期間とちょうど被っていたのと、やっぱりその人と実際に対面したときの印象が予期していたものと違った。
 
 
結局1ヶ月待たずして私はアプリから自分のアカウントを削除することになるのだが、おそらく私の乏しい経験からアドヴァイス出来ることがあるとするば
 
 「その人にピンと来るものがあれば、すぐに会え!」だ。
 
勝手に想像力を膨らませて幻想を巨大化するより、会って直接話をしてから関係をゆっくり建設していくのがいいと思う。文面で意見交換するのと実際に会うのは雲泥の差があるから。そして相手に期待させすぎてそのあとごめんなさいするのはお互いに心が傷つきすぎる。



マッチングアプリ、本当に勉強になった。。。
思い切って登録して本当によかった。(たった3人にしか会ってないしサイトのお陰で恋は成就してないけど)
でも私はきっと向いてない。疲労困憊です。


ソニーに報告したら
「よかったね牧子!勉強になったね。でもこれで自分がモテるってわかったじゃん、もっと自信持ちなよ。」ってサラッと言ってくれて、あんたが一番イケメンだよ、、、と思った。
 


ちなみにだけど、例えばの話、ジョルジュをマッチングアプリで見かけてもおそらく私は何もピンと来てなかったかもしれない。だからといってマッチングアプリをダメなものだとは全然思ってなくて、なぜならアプリで出会って結婚、うまくいっている知り合いカップルも数多くいるからだ。
 
何がいいか・何が合って・何が合ってないか なんてわからないね。
それにしても不思議な1ヶ月 を過ごしましたー
勉強になった。

2024-06-02

私の本、ギャラリー

私のモノグラフ、つまり今までの仕事が詰まった本、できました!!!
レ・サーブル・ドローヌ美術館の個展の一環で作ってもらった本。グラフィストがジャン・フィリップ(友人)でめちゃくちゃ有能なので、隅から隅まで完璧です。美しい。
ちなみにここで買えます。19ユーロ。(仏・英)

上の写真はパリの本屋 Librairie Sans Titre(本屋「無題」)で撮ったもの。
ここで昔から友人のポリーヌが働いており、彼女がちゃっかり入荷してくれてた。彼女に会いに本屋に寄ったらしっかり私の本置いてあって笑った。ありがとうねポポー!!




今回のパリ滞在、実はギャラリーとのアポイントメントもあり、ちょっと緊張していた。まだ公には発表されていないので公言できないけど、わたしはギャラリーを変えました。

不思議なことなんだけど、ほぼ同じ時期に2つのギャラリーからオファーをもらっていた。(どこかのギャラリーと仕事がしたい!と願っている時はどこからもオファーがなかったのに。。0か2つ同時かなんて、世知辛い)
AギャラリーはBより規模が小さいがデッサンや絵画を専門としていたところだった。はっきり「牧子と一緒に仕事をしたい」とメールをもらい、仕事を始めた。しかしのちに私は大きめのBギャラリーが以前から私と仕事をしたがっていたことを知る。
今回彼らと色々やりとりをして、本当に「恋愛」みたいだなと思いました。
作品プレゼン(告白?)、お試し期間(コラボレーション?)を経て
やっと付き合う(専属契約?)
ことになったとしても、同時に複数のギャラリーと付き合うことはできないし、関係を持続し続けるためお互い信頼・尊重し合うことが特に大事。「付き合った」からと言って放っておかれてしまっては元もこともない。。

 

結果私はBギャラリーと仕事をすることを選んだわけですが、単純にスタッフが女性ばかりでしかもいい人たちばかりで、ものすごくフィーリングがあった、というのが結構理由になっているかもしれない。ギャラリー自体とても大きいし、空間も好き。専属アーティストの中に友人知人が何人かいる、というのも大きな理由です。

とにかくめちゃくちゃ嬉しい。
来年個展することに決まったし!頑張リマス!!





パリを歩く

2024-03-18

放牧の始まり。そして誕生日

放牧(牧子だけに。)の日がやって来た。
 
出発前のアトリエ。レオと一緒に私の昔の作品をじっくり見た。ものすごくいい時間だった…彼は本当にアートに熱い男なのだ。いろんなことを気づかせてくれる。
 
まずは電車でパリへ。 
この日は3月14日、私の37歳の誕生日であった。
 
早朝(っていっても7時半だけど)駅で電車を待っていると、突然フランスの兄から祝福の電話があった。知り合って16年経つけど、おそらくこんな朝早くに電話までして祝ってくれたのは初めてだ!それだけですでに嬉しさがピークの私。本当に嬉しかった、ありがとう!
 
その日はSNSの影響もあってか、たっっっっっっくさんの祝い言葉をいただきました。こんなに多くの人に祝ってもらったのは初めてではなかったか。みなさん本当にありがとう!

オリンピックムードのパリ。でもそれを心から待ち望んでいるパリジャンは私の知り合いに一人もいない。。 オリンピック期間中メトロは倍の値段になり、ホテルやアパートは信じられないほど高額になり。。会社によってはテレワークを推奨されているらしい。

友人宅でご飯。
ありがとう!
そのあと急いでGalerie Au Roiへ。この展示があるからこそ、誕生日だったけどわざわざ来たのだった。誘われた展示のメンバーに、知り合いがたくさんいたから是非来たいと思ったの。
しかも設営は後ろで見てるだけでよかったし。
設営のプロがいて最高でした。ありがとう。
時間ができたので同じ展示参加者のセバスチャンと、今回の展示キュレーターのアルダロンと3人で近所をぶらぶら。知り合いの本屋に行ったり、雑貨屋さんにいったり。可愛い犬がいたぞよ!
そしてやっと展示が始まったのだが、もうすんごい人・人・人。
ずっと人という人と話しまくっていたので、とった写真これしかない。
6年ぶりに会った友人が、こんな素晴らしいプレゼントをくれた!手作りのクッキー、しかもMAKIKOのM!!!すげーーー!
これにはかなり感動…ありがとう😻😻😻

あぁ楽しかった〜
 
今回気づいたけど、パリという巨大都市に対するコンプレックスというか嫌悪感みたいなものがかなり薄くなった気がする。それかそんなムジャムジャごにょごにょしたものがどうでもよくなったか、そんなものが気にならないほど忙しくなったのかもしれない。
 
コルテオ 太陽光発電