2019-10-30

お弁当

ここ5日ほど、ナントの某会社で日本語のチェックをするお仕事を急遽することになり、ミニ出稼ぎ中。笑(ありがたやー)
出稼ぎというのも、会社がナント市郊外にあるのでトラムとバスに乗って片道約45分。ちょっと遠い。だからすぐ近くにお店が無く、お昼ご飯は毎回持参です。なので久々に弁当ライフ楽しんでます。


梅干しがまだ冷蔵庫に残っていたのでご飯にのせたいけど、真ん中に乗せると日の丸になってしまう。。。今の日本の状況にとても不満な私はどうしても日の丸だけにはさせたくなく、中心からズラした(笑)

一人分作るのは、冷蔵庫に残っているものたちを少しずつ詰めるだけでいいから楽かもしれない。でも私が小さい頃、母は兄弟4人+父=5人分のお弁当を毎朝作っていたのだった。しかも毎日違う中身、今やっとその大変さがわかります。母すごし。

2019-10-27

緑で溢れる

わけあって、家に置いてあった植物たち全員をアトリエに移しました。
それにしても、いつのまにこんな増えたんだろうか???
しかも記憶を辿っても、この中で自分でお金出して購入した植物って二つしかない。その一つも、市場で、手の中に収まってしまうほどの小さなもので、ここ7年ほどかけて巨大に育った。。


緑に隠れる緑。
ふちこ、健在!

ほぼ全てもらいもの。
大切に育てまーす!!!

2019-10-26

ピカソの母の手。

今日からサマータイム終了。
日本との時差は8時間です。


昨夜両親とビデオ通話していたのだけど、私の作品の話になった。
お母さんが
「牧ちゃん本当に手描くの好きだよね」
と言うので、
「ねー。自分でもよく分からないんだけどねー」
と答えたものの、そういえばピカソの手の話してなかったっけ?と思って伝えた。



ピカソの手の話というのは…

私が小さいころ、私の母は4兄弟を毎朝起こしに2階へやってくるのだけど、一人一人声かけをする際、家事に追われて冷たくなったであろうその手で、私の頬っぺたを冷やして行くのであった。その冷たい手が何とも私は大好きで、冷たいんだけどお母さんのぬくもりを感じていて毎朝嬉しかったのだった。
少しずつ大きくなるにつれ自分で起きられるようになっていったが、お母さんの手の話などはすっかり忘れていたと思う。
高校生になって美術大学への進学を決意し、絵の勉強を始めた。ある日、いつものように画塾にある画集を見漁っていたら、ピカソのこの母子像に遭遇した。

この絵を見た瞬間、この絵の母の手が、私の母の手にそっくりで思わず目が釘づけになった。細くって大きくって、そして冷たい感じも伝わってくるこの絵に、私は幼少期の朝の空気を感じたのでした。


この話は去年FRACで個展をした際作ってもらったカタログの中でも話しており、両親にはすっかりこの話はしたと思っていた。
でも昨日話したら、二人ともとても喜んでくれて(というかすごくびっくりしていたような)、なんか照れくさかったけど話して良かったなーと思いました。

2019-10-23

仕事最終日

今日が、ファーマシーの仕事の最終日でした。

5年半。長かったような短かったような…。
まだ実感が湧かないので何とも言いようがありませんが、もう早朝に出勤しなくていいのかーと思うと少し寂しいような気もします。(朝の、暗い中出勤するあの感じが好きだった)


私は職業訓練後ナントに戻ってくるし、
また同じファーマシーで働くかもしれないし、
そもそもしょっちゅうナントとレンヌを行き来するので、
仕事を辞めること自体たいして大げさに思っていないです。ただ、同僚たちがやたらとうるさ…じゃなかった、すごく気にしてくれて、本当もったいないくらいたくさんの人に
「牧子がいなくなるなんて、寂しくなるわー」
と言われました。


思いがけず沢山の部署の人に言われたので、
「私ってそんないいやつだったっけか。」
と疑問に思いました。あとは
「牧子はいつも笑顔で、一緒に仕事するのが楽しかった」
と言ってくれる人もかなりいて、
「私ってそんなに笑ってたのか?」
と自分で驚きでした。
本当、こういうのはハッキリ言われないと分かりようがない。


そんな些細な同僚の言葉が嬉しすぎて、しかも個人的にプレゼントをくれた人もいたりして、最後の最後に少しうるっときた。けれどこの5年半、つまらない雑用をこなしてきた私にとって、時々やっぱりしんどいこともあったので、悔しくて、「泣くもんか!」と自分に言い聞かせて、結局一粒も涙を流さなかった(へっ!)



でも、皆んなに「頑張れよ!」と励まされて仕事を去ることほど嬉しいことはないかも。やる気メラメラで仕事先を後にしました。

外に出ると キンとした、冷たい空気が心地よかった。
晴れた青空の下、私は早歩きで今度の展示の打ち合わせに向かったのでした。

2019-10-20

遠距離ゆえの

この間の結婚式の写真をゲットした。

なんか、私、某ホテルの社長みたい笑
 そんな自分の思いとは裏腹に、友人らには褒めてもらえて嬉しかった。。この服本当に大切にする。このデザインをしたケベックのアーティストJenniferに感謝だわよ。



先日。
 ジョンがイギリスに帰った日、飛行場まで送っていって搭乗口で見送る時恥ずかしいくらいに号泣をしてしまった。こんなに泣いたらジョンも困るだろうに、と思って泣かないようにするんだけど、やっぱ悲しくてもっと涙がでてくる。はずかしー!そして初めてそのときジョンの涙を見た。私はびっくりして、思わず目を見開いた。

 1ヶ月も一緒に生活すると、一緒にいることが 普通になってしまって。しかも私が今度レンヌで職業訓練するから忙しくて、次いつ会えるかわからんっていう。だからよっぽど悲しかった。



一番辛かったのは、家に戻って我が家のドアを開けた瞬間。1ヶ月もの間ずっとジョンがいた場所にジョンがいなくて、思わず声を出して泣いた。


遠距離は辛い。

そんな愚痴をいうと、毎回ジョンは
「辛いけど、毎回会うことが奇跡になる」と言う。

そうだけど、そうなんだけど。

確かに毎回会うとき、ものすごい感動する。
ちゃんと生きてたーって。確かにこんな感動はなかなか味わえない。


でも、でも、でも、
やっぱ悲しいよ。



Disgusting food museum

もう数週間前になりますが、
Hab GalerieでDisgusting food museumを見た。
Disgusting だから、「嫌な」っていう意味であって
決して「まずい」という意味ではないのがミソ。


あれ、日本語でこういうのなんていうんだっけ。。
あ!「ゲテモノ」??
ゲテモノ料理美術館??


ぎゃああああああああーーーーーー!!!
しらこー

私の大好物、納豆が… 全然ゲテモノじゃない。。
こうもり?
他にも色々あったけど、気持ち悪すぎてちょっと載せられない。昆虫とか。

私は展示の途中くらいで気分が悪くなって、外に出た。笑
ジョンは普通に楽しんでて、しかも幾つかの食べ物を見て普通によだれ垂らしてた笑 なんて人だ。

11月3日までやってます。
数ユーロ払えば味見も出来るそう。


2019-10-18

またまたSt Nazaire

ジョンはもうイギリスに戻ってしまったのだが、帰国前日に彼の大好きなSt Nazaireに行った。
車で40分。
近いね。



今回は今まで行ったことのない方向を散策した。

なんか人がいる!と思ってびっくりしてたら、
説明書きを見つけた。

奴隷制度廃止の記念碑だった!





赤いインク付きの本が落ちておった。

行けば行くほど魅力を感じる、サンナゼール。
今回は最高に天気が良くて、どこまでも最高だった。

2019-10-17

送別会

ファーマシーの同僚たちが、送別会なるものを企画してくれた。
シックなレストランに行ったのに、私はがっつり「ナント・バーガー」を頼んでしまった。Le Curé Nantaisというナントで生まれたチーズがごっそり入ってて美味しそうだったし、実際とても美味しかったですー。


全部で8人。
やっぱりどうしても仕事の話になるけど、ゴシップやら細かすぎる仕事ネタで大盛り上がりだった。あー楽しかったーーー!!!!


みんなはがっつり肉の塊を食べていた。
とある同僚は「おばあちゃんの作る鍋料理」を頼んだら、本当におばあちゃんが使ってるような鍋に入って出てきた。お皿も特別仕様だ。笑


 今回は頑張ってデザートも食べた。
 みんなのデザート。



私のことを気に入ってくれている上司が「戻ってきてよねー!」と仕切りに言うので、実際あんまり仕事を辞めるっていう感じがしません。

でも帰り道、家の方向が同じ同僚の中の一人と夜道を歩いていたら
「牧子と知り合ってどのくらい経つっけ?」
というので、
(あぁ、なんかこういう質問こそ、人と人が別れるときに話すことだなぁ)と思ってしんみりきました。
彼女は私よりも年上でシングルマザー。知り合って数年の間に色々あったなぁと思い出がブワリと蘇ってきました。


「悲しいけど、また戻ってくるかもしれないし。」と言うとお互い気がラクになる。



フランスの母と父

アトリエから帰る途中、虹に会った。
虹を見るなんてどれくらいぶりだろうか。
こんなにも大きい!

先日お呼ばれしたG先生と、また会うことになった。
今回はC先生も一緒だ。C先生は私がフランスに来ることになった一番の原因(笑)となった人物。
このC先生とG先生はお互いめちゃくちゃ仲が良く、兄妹みたいだ。私にとって2人はフランスの両親みたいなもんだ。3人揃って会うのも久々。この日会えるのをすんごく楽しみにしていた。


長い付き合いをしたカップルが分かれると、今まで仲良くしていた人とも自然に連絡する頻度が減るってもんだ。
ボリスと別れてからというもの、実はあまり連絡していなかった。しても作品や展示のことばかりで、私生活のことは何も。フランスの母と父に、「彼氏と別れた」という話はなかなかしづらく、今回は頑張ってその話をしようと思っていた。
でもさすがフランス人。情報のまわりはとても早く、2人ともすでに知っていた。すると自然に、彼らも彼らの近況を話してくれた。嬉しいことも辛い難しいことも、たくさん。
このとき、みんなそれぞれ言いにくいことがあるんだなって、当たり前なんだけど改めて思った。彼らの私生活の悩みなんて、知らなかった。

お互い好きな同士、やっぱり言いたくない・言いにくいことがたくさんあるんだ。




知り合って12年経つけど、この日バーで一緒に過ごした時間ほど、彼らを身近に感じたことはなかったかもしれない。正直いろんな感情が込み上げてちょっぴり悲しかったけど、3人それぞれ少しずつ思いを打ち明けて、とても嬉しかった。




C先生とは知り合ってもう12年。G先生は10年。
今でも大好きだ。

雨の中の幸せ

結婚式に参加することにすごくストレスを感じていた私でしたが、終わってほっとした。


翌日、ジョンと雨の中を散歩。
小雨の中を歩いていたら、めちゃくちゃ激しい嵐のご登場。
二人してテンションあがる!!!

巨大な黒い雲が一目散に辺り一面を埋める。
雷が見える。これが自然の力だ!!すげーーー!!!
(っていっても、全然写真じゃ伝わらなくて残念ですが笑)
雨雲の動きを、長い時間をかけて見送ったあと
やはりずぶ濡れになりながら家に帰る。

私は雨の中を歩くのがすごく嫌いだった。(今もまだ少し嫌いだけど)

以前、やまない雨に愚痴を言う私にジョンは言った。
「今は嫌かもしれないけど、家に帰ってこのずぶ濡れのズボンを脱ぎ捨てた瞬間を想像してみなよ。ぜっっったい気持ち良いよ!それでシャワーも浴びてスッキリした体で、あったかいミルクコーヒーを飲むんだ。最高じゃない!?ほら、愚痴を言ってないで早く帰ろう」

そう言われた瞬間、私は降り続ける雨への嫌悪感が少し減った。(でもやっぱり止んだほうが良いに決まっているけど。)



この日は雨に濡れながら
「今日の夕食はフィッシュアンドチップスにしよう!」ということになり、雨の中をあるく足が二人して早くなった。笑



そして帰宅。
濡れて重くなったズボンや靴を脱ぎ捨てるきもちい〜い瞬間のあと、あったかいミルクティーを飲みながら私たちはフィッシュアンドチップスを作った。そしてビールを飲みながら、二人でこれ以上の幸せはない、と言い合い
口いっぱいに頬張ったのだった。

雨の日は気分が下がることが多いかもしれないけど、この日は最高に良い日になった。

おまけ

それにしても、結婚するって一体なんなんだろうか。と考えた週末であった。
フランスの小さな集落が好きな人がよくいらっしゃる気がしますが、わたしは特にそういうわけでもなく。
今回は本当に急ぎ足だったので、またいつかゆっくり来たいなー

フランス語と日本語の会話を目一杯楽しんだあとは、家に帰ってジョンと英語。彼は結婚式に来なかった。ボリスが参加していたのでやめたのだ。


そう、結婚式はそういった複雑な人間関係もむき出しになる。親族間、友人間、みんないろいろあります。そういう雰囲気に身を投じるのが、実はすごく嫌で、正直結婚式は苦手です。

今回のことに限らず、
晴れの舞台の裏側に潜むドロドロのせいで、あんまり感動出来ないし、あんまり心から祝福できない自分を、ふと見つけてしまう。(だって離婚する人、周りに多すぎ。)


なんでこんなヒネくれた考えを持った人間になってしまったのだろうか。それにしても私はきっと結婚式は一生あげないであろう。(予測)
 
コルテオ 太陽光発電