保育園に、初めて行った時の日の記憶がある。
・・・と、いうのが私の小さな自慢です。
私は母に抱きかかえられてた。私、3〜4歳くらい。
保育園に行くことが本当に嫌だったから、めっちゃ泣いてたのも覚えてる。母の腕の中から突然知らないお姉さん先生の腕の中に・・・私は移動。そして更に泣く。
もう一つ。
小さい時の記憶として明瞭に覚えているのは小学校1年生の時。
クラスの女の子(髪が元々茶色くってクラスで女王的な子。背も大きかった)と話していて、彼女が突然遠くに居る別の友達をさして「ねぇねぇ牧ちゃん、最近あの子ちょっとむかつかない!?」 言った。
そのとき私は
(あぁーーっこれだ!!!例のドラマとかに出てくるやつだーー!!!)って思った、のを20年経った今でもよ〜く覚えている。
友達の悪口を言ったりすることが6歳の私にとっていわゆる「おとな社会のもの」だったらしい(笑)。それが突如目の前で展開されたものだから「おぉーーー」って思ったのだ。
それから小・中・高と、その人間関係どうのこうのが展開されたわけですが、小さい頃の私は大人になればきっとこれは無くなる。と素直に思っていた。
だって"大人" は色んな知識があって賢くて、大きくて力もある。自分でお金だって稼ぐし、そんな人間関係どうのこうのにかまっている暇がないじゃないか。と思っていたから。
でも、いざ自分が25歳にもなってみれば、なーんにも変わらない。むしろ人間関係はもっとねちっこくて、重い。「あれ?」って思う。小さい時に考えていたことと違う。
私は今、本当にいっぱいの友達に囲まれている。
国籍も違えば年も違うし。なんか幅が本当に広い。
広ければ広くなるほど人間関係はもちろん複雑になるし、それはもう当たり前。
でも、それでも好きだっていう友達が居るし、辛い時は彼らに支えられる。高校の時の友達にも、絶対連絡を取り続けたい友達がいる。彼らのお陰で私は元気をもらえる。
日本を離れているからこそ、自分のルーツを考えるし
時間をともにした友達のことを考えるものです。
日本にいる皆さんは、私が遠くに居るからといって
心が離れたとは思わないで。
むしろ私は渡仏から今まで、日本のことを強く思っています。
・・・と、いうのが私の小さな自慢です。
私は母に抱きかかえられてた。私、3〜4歳くらい。
保育園に行くことが本当に嫌だったから、めっちゃ泣いてたのも覚えてる。母の腕の中から突然知らないお姉さん先生の腕の中に・・・私は移動。そして更に泣く。
もう一つ。
小さい時の記憶として明瞭に覚えているのは小学校1年生の時。
クラスの女の子(髪が元々茶色くってクラスで女王的な子。背も大きかった)と話していて、彼女が突然遠くに居る別の友達をさして「ねぇねぇ牧ちゃん、最近あの子ちょっとむかつかない!?」 言った。
そのとき私は
(あぁーーっこれだ!!!例のドラマとかに出てくるやつだーー!!!)って思った、のを20年経った今でもよ〜く覚えている。
友達の悪口を言ったりすることが6歳の私にとっていわゆる「おとな社会のもの」だったらしい(笑)。それが突如目の前で展開されたものだから「おぉーーー」って思ったのだ。
それから小・中・高と、その人間関係どうのこうのが展開されたわけですが、小さい頃の私は大人になればきっとこれは無くなる。と素直に思っていた。
だって"大人" は色んな知識があって賢くて、大きくて力もある。自分でお金だって稼ぐし、そんな人間関係どうのこうのにかまっている暇がないじゃないか。と思っていたから。
でも、いざ自分が25歳にもなってみれば、なーんにも変わらない。むしろ人間関係はもっとねちっこくて、重い。「あれ?」って思う。小さい時に考えていたことと違う。
私は今、本当にいっぱいの友達に囲まれている。
国籍も違えば年も違うし。なんか幅が本当に広い。
広ければ広くなるほど人間関係はもちろん複雑になるし、それはもう当たり前。
でも、それでも好きだっていう友達が居るし、辛い時は彼らに支えられる。高校の時の友達にも、絶対連絡を取り続けたい友達がいる。彼らのお陰で私は元気をもらえる。
日本を離れているからこそ、自分のルーツを考えるし
時間をともにした友達のことを考えるものです。
日本にいる皆さんは、私が遠くに居るからといって
心が離れたとは思わないで。
むしろ私は渡仏から今まで、日本のことを強く思っています。
Aucun commentaire:
Enregistrer un commentaire