ボリスのおばあちゃんおじいちゃんはルーアンに住んでいる。二人はいろいろわけがあって別居している。私とボリスがルーアンに来るときはいつもおばあちゃんの家にお世話になっている。
おじいちゃんは、数週間前から「もう先は長くない」と医者に言われ入院していた。
ブックフェアを終えた日曜日、翌日ナントに戻るため帰る用意をして床についた私たち。朝3時半ごろおばあちゃんのけたたましい話し声で目を醒ました。私は半分寝ぼけていたのだが、珍しくサッと起きたボリスを見て「あ、おじいちゃんに何かあったのだな」とすぐに察しがついた。
二人でおばあちゃんの部屋に行き、そっとドアを開けると電話を片手に泣いているおばあちゃんがいて、私たちを見るなり「おじいちゃんは私たちを去ったよ。」と一言いった。おじいちゃんの容態が悪くなったのは1時間ほど前だったそうで、そのときも看護士さんはおばあちゃんに電話をしたのだけど、新調したばかりの電話は音がならなかったそうだ。だから結局最後の姿を家族に見せることなくおじいちゃんは逝ってしまったのだ。
沈黙の中、息子たちに電話をかけるおばあちゃんの声が響き渡る。もともと声は大きいけど、静寂の中でこだまする彼女の声はやたら大きく聞こえる。朝4時過ぎ、3人でタクシーに乗って病院へ向かった。おばあちゃんは自分の家の鍵を掛けるのを忘れていたくらい動揺しており、彼女に「鍵はいいの?」と思い切って言った私は、こんな些細なことでも役に立てればと一生懸命だった。
タクシーの中はよく分からないダサい音楽が鳴っていたけど、沈黙をかき消すのにすごく助かった。自分の安いボロ車に比べてシートがふかふかだな、なんて本当にどうでもいいことを思ったりもした。
ボリスはおじいちゃんとあまり親交がなかったようで、そのせいか私は彼に2回しか会ったことがない。それに比べおばあちゃんにはいつもお世話になっている。たくさん話もしているし、彼女の料理がとびきり美味しいことも、彼女がどんな男性を好きかなんてことも、1日何本タバコを吸うかも知っている。おじいちゃんが死んで悲しいというよりか、おばあちゃんが悲しんでいるので悲しい、と言ったほうがしっくりくる。
ボリスのお父さん、アレクシーに引き続き、また今回も亡き人の顔を見なかった。おばあちゃんの泣き顔で胸はいっぱいだったし、見る気は全くなかった。見ても、こんな見ず知らずの娘に顔を見られておじいちゃんは嬉しいだろうかと思ったりもした。フランスは亡くなった人の顔を見たくないといえば見なくていいのが本当に便利だと思った。今回は後悔もない。
起きて急に行動したので私は少し頭がふらふらしており、お水がほしいと看護士さんに告げると、わかりましたと言ってオレンジジュースとお菓子をくれた。隣の個室でおばあちゃんが辛い思いをしているのに私は廊下でジュースとお菓子なんて食べて一体何しているんだろうと何度も思った。ボリスが常に横にいてくれたのでよかったけど、私はなんて罰当たりなんだと思った。
おばあちゃんの息子の一人が病院に着いた。亡くなったおじいちゃんと対面したあと、一旦おばあちゃん家に引き返すことになった。おじさんの車にみんなで乗ったが、さっきのタクシーよりさらに何十倍もふかふかでピカピカした車だった。むしろ宇宙船みたいだった。人生で初めてこんな高級車に乗って正直とても変な気持ちがしたが、ダサい音楽は先ほどと共通していてとても安心した。家に着くまでの10分間、誰一人言葉を発しなかった。スターウォーズに出てくるような乗り物の中でフランスのダサい音楽を聴くなんて滑稽だななんて、私以外誰も思っていないだろうなぁと自分を馬鹿らしく思った。
おばあちゃんの家に着き、コーヒーを飲むことになった。もう一人の息子も合流し、皆で話をすることになった。おじいちゃんの葬式について一通りの話をしたあと少し沈黙が続いた。朝6時半。普段顔を合わすことのないメンツで、しかもなぜか次の議題は私たちの作っているアート。何もかもがちゃんちゃらオカシかった。コーヒーメーカーはいつもよりのろのろコーヒーを作るので、私は確認のため5回ほどリビングとキッチンを行き来し、その間におじさんたちはチョコレートをバリバリと食べだした。このチョコレートはおばあちゃんが人に頂いたもので、クリスマスツリーのような型をしていた。私だったら1週間以上かけて食べていくこの山は、皆の手によってガタガタと崩れていき、コーヒーの登場をより催促させた。
早朝からのアート議論に耐えられなくなり部屋に戻って一休みすることにした。結局そのまま私はボリスを置いて電車でナントに戻り、お葬式には出なかった。一度も涙を流さなかった。とても不思議な感じがした、月曜の朝のことだった。
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