2025-07-23

エマニュエルのちボルドーへ

フォントヴロー修道院はわたしにとってとても大事な場所。
ここでアートディレクターをしていたエマニュエルという人がいる。彼はここに20年前から勤めており、最初はmédiateurと言って場所のヴィジットや説明などをするような仕事をしていた。そこから徐々に上り詰め、なんと8年前くらい前からアートディレクターになった。彼は結婚式もここで挙げたらしいのでフォントヴローに対する愛がすごい。

そしてこのたび、なんと転職することになった。
誰も予期しなかったこと。
わたしはある日彼から直接電話をもらってその旨を聞いた。めちゃくちゃ驚いたけど、同時に「この人強いな、かっこいいな」と思った。

人生の大部分を捧げた場所を去るのはよほどの決意がいったと思う。でも彼なりに思うことがあったんだろう、別の場所でより大きい責任を負う役所に着くのだ。

わたしがフォントヴロー修道院に到着したのは火曜日で、その日が彼の最終出勤日だった。全ての部署をまわって数えきれないほどたくさんいる同僚たちに別れを告げ、17時半に自分のオフィスに戻ってきた彼は目を真っ赤にしていた。そして私たちを見てまた泣き出してしまったのだった。
わたしは彼を修道院の門のところまで送って行った。
仕事を辞める時にこんなに泣ける人、羨ましいし、すごく素敵。よほど想いが強いんだ。。美しい。


そんな彼と後日、改めて2人だけでご飯食べに行った。
エマニュエルにはわたしと同い年の夫がいる。主に愛の話や仕事の話をした。いつもたっくさんの仕事に追われて忙しかった彼だが、この日ばかりはゆっくりいろんな話ができてよかったーーーー
次に会うのは秋、ルーアンのわたしの個展。またねエマニュエル!がんばれ!そしてひとまず思いっきり休んで!

久々に鐘に会いにいく。
色がどんどん良くなっていく。写真ではわかりにくいかもしれないけど、青色が出てきた。美しいわたしの娘。ペトロニーユ。

夜、他のレジデンス中のアーティストらと一緒にご飯を食べた。外の広場でその日限りの市場がやっており、シャルキュトリーでこんないい写真を見つけた

そして翌朝、わたしはフォントヴローを後にした。
バカンス期間の電車は地獄。。。くたびれたー
そして無事ジョルジュ母のお家に到着した!
着いて荷物置いてジョルジュ母とだべりながら一緒にプールへ。プカプカ浮かびながら近況報告。
20時ごろわたしはジョルジュ母と夕食をとっていた。
その時ジョルジュから電話があって
「牧子ごめんねー 用事が立て込んで、今やっとシャモニーを出発したばかり。どこかで仮眠をとってゆっくり向かうから、おそらく明け方に着くと思う。2時間後にまた電話するね」と。
シャモニー↔︎ボルドーは車で7時間半ほどかかる。フランス横断。

遠いところ大変だなー(他人事だな笑)と思いながら、わたしは夕食を食べた後そのままベッドでウトウト。2時間後に予定通り電話が鳴る
「牧子、元気?」
「うん、ちょっと寝てたー。どう?運転は順調?今どこらへん?」
「今Corrèzeあたり、でもちょうどいいタイミングでベッドを見つけたから、一休みしようと思う」
「ほーぅ(ベッド?)」

珍しい、ホテルの一室でも予約したんかな?
テントを張ったりして屋外で寝るのが大好きな人なのに、ホテルとかで寝るの?なんか変だなーと思っていると、その3秒後にわたしが寝ていた部屋のドアが開き、ジョルジュが登場した。


「ボンソワーーーーール!!マキコーーーー!」


へ??😳


驚きすぎて声が出ない。

なんでジョルジュここにいるの?

Corrèzeにいるんじゃなかったの?



2ヶ月ぶりにみるジョルジュはイリュージョンかと思った。
携帯の極小スクリーンで見続けた人を突然現実で見るとすごい変な感じがしたー

嬉しや、嬉しや、3Dジョルジュ!
本物だー!!!


ジョルジュ母は、ジョルジュが電話で嘘をついているのを知っていたらしい。彼はその日の用事早めに済ませ、15時くらいにはもうシャモニーを出発していたのだ。そんなことは何にも知らずに呑気にプールでぴちゃぴちゃ遊んでいたわたし笑

その後サロンに降りて行ってジョルジュ母と3人で談笑し、その後グースカ寝ました。
無事に久々にジョルジュに会えて嬉しいぞーーー

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