2025-04-27
2025-04-21
3連休
月曜日はPâques (復活祭)の祝日。
私は二日連続でプールに通う。天気がいいのでみんな海に行くからか、プールはガラガラでした。嬉しくて2日目は2000m近く泳いだ。
そのあと海沿いを散歩。
海の近くに住むって本当にいいな
海見ながらコーヒー休憩。この写真じゃ全然人がいないように見えるけど、朝10時ごろだけどたっくさんの人で賑わっていた。
土曜はアトリエ行ったけど、日曜祝日はアトリエに行かないように心がけている。その代わり運動をしたり散歩したり。(オペラの絵がちょっと推しているので家で絵は描くが…)
2025-04-20
個展の準備とか
しばらくはトゥーロンに残って、トゥーロン市内のアートスペースで5月半ばから始まる個展に向けて準備。なのでお弁当生活再開でーす!(展示自体は9月半ばまで開館)
地味だけど大きな野菜とかマヨネーズやケチャップ(大好きな…)を買えるのが嬉しい。(すぐどこかに長期出張とかだと電気水道を全て切って出発するから。なので冷蔵庫は常に綺麗で空っぽ。)
アトリエで何気なく使ってた鉛筆!衝撃!30年前とかの北國新聞の景品とかですよ 懐かしー
数ヶ月前にとある映像作家の人ら(Le Port des Créateursとコラボしている)から連絡を受けて撮影したんだけど、どうしてももう一度マキコのアトリエで2シーン撮りたい、と言われて承諾。簡単なセリフだけど、カメラの前だと緊張しちゃう。何度も何度も取り直してオッケーもらった。良かった
コンセルヴァトワールの男の子が私のアトリエで絵を描くシーン
トゥーロンにTomo Tomoという日本料理屋さんがオープンして、みんなで行ってきたー!すんごく美味しかった!!!日仏ちょうどいい具合にミックスされた濃厚なクリームスープがベラボーに美味しかった!次は醤油系のあっさりラーメンも食べたい。
数ヶ月前にとある映像作家の人ら(Le Port des Créateursとコラボしている)から連絡を受けて撮影したんだけど、どうしてももう一度マキコのアトリエで2シーン撮りたい、と言われて承諾。簡単なセリフだけど、カメラの前だと緊張しちゃう。何度も何度も取り直してオッケーもらった。良かった
コンセルヴァトワールの男の子が私のアトリエで絵を描くシーン
2025-04-19
無事帰宅
非常食しか食べてないから、翌朝はお腹が空いていた。朝食もサービスなのでむしゃむしゃ食べる。
8時過ぎの電車に乗ろうと駅に行くと、今度はスクリーン画面が機能してなかった。昨日からなんやねん自分が乗る電車のホームから、昨夜から滞在した部屋が見えた。
そのあとは何事もなく、無事トゥーロンまで電車は動きました。
良かった〜
残念ながら雨模様だけど、天気なんてなんでもいいの。とにかく自分のお家に着けたことが本当に嬉しかった。今回は3週間も家を空けていた、長い放牧でした、。。。
2025-04-18
電車の遅延でホテルに泊まった話
翌朝。
泊まったお部屋でご仕事をして、午後イチでソミュール駅へ。交通の便が悪いのでタクシー(20-30分)が必須。もう駅に着くぞ、というところで携帯に鉄道会社SNCFからメッセージが届く。
「お客様が乗る電車は2時間遅れで出発します」
えええええ
まだフォントヴロー修道院にいた時にメッセージを受けていたら、電車を翌日に切り替えてゆっくりできたけど、今更遅い。
駅の窓口に直行。
その日私はソミュールからリヨン駅へ、そこから乗り換えてトゥーロンへ帰る予定だった
リヨンでは乗り換えに30分しかなかったので、2時間電車が遅れると当たり前だけど乗りたかった電車に乗れない。
そして2時間遅れてリヨンについても、トゥーロン行きの他の電車は「ない」。
窓口のお姉さんに事情を話すとすぐに
「pu****...!!」と
汚い言葉を発し、横にいた同僚に向かって
「2時間遅れだなんて聞いてないし!私あと5分でランチ休憩なんだけど、これから大混雑になるじゃん、マジやってらんない。私は絶対ここ(窓口)閉めるからね!」と、私の真向かいで堂々と不平を。
すぐさま本部?に電話をして遅延の理由を聞き
「ナント↔︎アンジェ間で人身事故だって。飛び降りらしい。」と言い、やっと私の方に向かい直し、対応してくれた。「2時間って言ってるけど、もっとかかるかもしれない。」と付け足した。
何にもないソミュール駅で2時間待つのは大変だったし、そもそも遅れてやってくる電車に乗っても、リヨン駅で2つ目の電車に乗れないなら、別ルートで帰るしかない。
ソミュール→アンジェ→パリ→トゥーロン
に変えてもらって、アンジェまで電車で向かった。
アンジェ駅はもちろん大混雑。
電光掲示板を見ると、あろうことか私が乗りたかったパリ駅行きの電車が「キャンセル」されているではないかーーーーー終わった。。。私どうしたらええねん。。。
かなりパニックになり、駅の窓口に行くもみんなイライラ・ピリピリしていて冷たい。訳を話すも「なんでアンジェまで来たの?2時間待って元々乗るべきだった電車に乗りなさい」と言われる。
それに乗ってもトゥーロンまで行く電車に乗れないんだよ。。。と説明しても理解してもらえず、もう泣きそうになる。
心の救いであるジョルジュに電話をかけ、ジョルジュ母も一緒になって色々他の方法を考えるも鉄道会社がホテルを用意してくれるはず、という結論に至る。確かに、彼らの責任じゃん。流石にお客をそこら辺の夜の道に置き去りにするはずがない。
電話とかしていたら時間は過ぎていき、やっと私が乗るべきだった電車がやってきた。復興までに2時間半かかったそうだが、後で調べたら日本で人身事故が起こった場合は1時間くらいで路線は復興するらしい。日本やばくないか
電車の中でいろんな人と話したけど仏人はみんな「2時間で路線復興はなかなか早いな」とか言ってたので日本とは本当にレベルが違う!と思った。
車内で一回だけ「皆様に食料品を用意しておりますので、ご希望の方は4号車(バー)までお越しください」と流れた。行くとこんなものが無料でもらえた。(客に取りに来させるあたりがすごくフランスっぽいと思うのは私だけだろうか、日本なら「公平に」全員に配るんじゃないかな。フランスは「欲しい人に」あげる)
お水、レンズ豆サラダ(ベジタリアン用)、クラッカー、ビスケット、りんごのコンポート、ボンボン(キャンディー)
このストローじゃ全然全部飲めない笑
不味くはないけど、見た目が動物用のご飯みたいだなぁと思った。笑
リヨンに着く。
不味くはないけど、見た目が動物用のご飯みたいだなぁと思った。笑
私の隣の人はナントからこの電車に乗っており、人身事故(飛び降り)が起こってから2時間まるまる電車の中で過ごしていて、疲れ切っていた。
車内で私はかなり緊張していた。
車掌さんが通るとすぐに訳を話す。
「ご安心ください、リヨン駅に近づいたらアナウンスがあるのでそれを逃さないように」
「おそらくマルセイユまで行っていただき、そこで用意されるホテルに泊まっていただくことになると思います。」
実際到着直前で流れたアナウンスではこうだった
「トゥーロンへ行かれる方は今夜の電車はありませんので、SNCFが用意したリヨンのホテルに宿泊いただきます。携帯電話に直接メッセージが届くと思いますのでそこからアクセスしていただき、ホテルの手続きをお願いします」
アナウンスが流れてから、メッセージを待てど待てど全然届かない。
電車を降りて職員に聞くと「窓口へ行ってください」という。
重たいスーツケースを引きずって窓口へ行く。
女性職員を見つけて訳を説明すると
お姉さん「遅延の話は聞いています。あなたの最終目的地がトゥーロンなら、ここリヨンではなくマルセイユまで行って、そこでホテルに泊まるはず」
という。
私「いいえ、アナウンスでは私はリヨンで宿泊する、と言っていました」
お姉さん「そんなはずはない。今からマルセイユ行きの電車が出発するG番線まで行きましょう」
何度説明しても納得してくれないので、行かなきゃいけない。なんで信じてくれない?辛いがクッと堪える。来た道をまた折り返す。重いスーツケース。疲労。。。
ホームに到着、お姉さんが同僚に色々話をする。
私の方を向いて私の事情を説明してくれている。
しばらくしてお姉さんが「ふーむ」と言って戻ってきて一言。
「あなたはリヨンで宿泊だから、窓口に戻りましょう」
ほーーーーら、言ったやんか!!!!😡💢💥💥
まーた長い道を歩き直す。
途中でお姉さんが「ごめんなさいね」と一言謝ってくれたのでちょっと気持ちが軽くなった。ここで謝れないフランス人が大多数なので。
すぐにホテルの用意と、翌朝乗る電車の手配をしてくれた。
私の他にホテル宿泊の人は2人しかいなかった。
そしてまさかの2つ目が渡される!笑
私としては、確かに鉄道会社の対応は良かったとは言えないものの、そもそも遅延は人身事故で鉄道会社のせいではない。ホテルを用意してくれたし、こうして非常食もくれて、私的にはかなり安心・満足であった。
私としては、確かに鉄道会社の対応は良かったとは言えないものの、そもそも遅延は人身事故で鉄道会社のせいではない。ホテルを用意してくれたし、こうして非常食もくれて、私的にはかなり安心・満足であった。
ところが私の隣にいた2人(同じくホテル宿泊者)は口を揃えて「レストランくらい用意してくれてもいいんじゃないか〜?この国は美食の国だぞ」と半分冗談混じりに職員に言っていた。(もちろん笑って受け流されていたけど)
私はこの状況でそんなことを言えるのが単純にすげー!!と思ったし、フランスに16年住んでいるけど、まだまだフランス人から学ぶことたくさんあるなぁと思った。笑
どんな状況でも不平を言い切るその根性。
ホテル到着、とっても立派なホテルだった。
かなりグースカ寝た。
本当に疲れた日だった
週末があんなにも素晴らしかったので、その落差がすごかったぜよ
ジョルジュの祖父母
(スタッフの皆さんからチョコレートいただいた!ありがとう!!)
私とジョルジュはフォントヴロー周辺で行かなければいけないところがあった。それはジョルジュのおじいちゃんおばあちゃんのお墓参りだった。
私は日本に帰れば必ず古市家のお墓に行くし、それが普通だと思っている。(小澤家には長いこと行ってないね、ごめんね。)自分がここに存在するのはご先祖の皆様がいてくれたから少しでものお礼である。帰った時くらい感謝の一言でも言わないと、なんだか申し訳ないなと思っているから。彼が金沢に来てくれた時一緒にお墓に来てくれたので、私も是非訪れたいと思っていた。
ジョルジュは10年ぶりに訪れた。
お墓に行ったついでに、祖父母が住んでいた家(今はもう持ち主が変わっている)を見に行ったら、道路から見える限り何も変わっていなくてジョルジュはすごくしんみりしていた。いろんな思い出が詰まっているよね。。。
そしておじいちゃんの名前(同じくジョルジュ!)の名前がつけられた道にも行ってきた。とある町の長だったおじいちゃんはめちゃくちゃ町民に愛されていたらしい。
フォントヴローから車で15分ほど。
ジョルジュのお母さんの生まれ故郷からこんなに近いところに、私は数年前長い間滞在していたし、いろんなプロジェクトに携わった。不思議。あとからジョルジュ母に聞いた話だが、ジョルジュ祖父はナチス時代、当時刑務所だったフォントヴロー修道院に短期間収監されていたこともあったらしく、ジョルジュと仕切りに「本当に不思議なご縁だ」と何回も話した。
いろんなことが繋がっていて本当に不思議。
こんな遠いところまで歩いてきた。
私は誰もいないフォントヴローにひとりぼっち。私を成長させてくれたかけがえのない場所、とても感謝している。
大きなプロジェクトも終わったし本当に寂しくて悲しかった。
だけど実は冬にまた別の仕事を提案されて戻ってくるんだけどねー
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