2025-04-18

ジョルジュの祖父母

翌日。
(スタッフの皆さんからチョコレートいただいた!ありがとう!!)
寝不足と軽い二日酔いの頭をかかえ、鋳造所の社長夫妻とコーヒーを飲む。また近いうちに遊びに行くね、と言ってバイバイ。アーティストたちもみんなそれぞれの方向に帰ってしまった。

私とジョルジュはフォントヴロー周辺で行かなければいけないところがあった。それはジョルジュのおじいちゃんおばあちゃんのお墓参りだった。
フランスでは日本のように頻繁にお墓参りをする文化はない(私の周りだけかもしれないけど)。びっくりしたのが「先祖のお墓がどこか知らない」という人に何人か会ったことがある。

私は日本に帰れば必ず古市家のお墓に行くし、それが普通だと思っている。(小澤家には長いこと行ってないね、ごめんね。)自分がここに存在するのはご先祖の皆様がいてくれたから少しでものお礼である。帰った時くらい感謝の一言でも言わないと、なんだか申し訳ないなと思っているから。彼が金沢に来てくれた時一緒にお墓に来てくれたので、私も是非訪れたいと思っていた。
ジョルジュは10年ぶりに訪れた。

お墓に行ったついでに、祖父母が住んでいた家(今はもう持ち主が変わっている)を見に行ったら、道路から見える限り何も変わっていなくてジョルジュはすごくしんみりしていた。いろんな思い出が詰まっているよね。。。

そしておじいちゃんの名前(同じくジョルジュ!)の名前がつけられた道にも行ってきた。とある町の長だったおじいちゃんはめちゃくちゃ町民に愛されていたらしい。
フォントヴローから車で15分ほど。
ジョルジュのお母さんの生まれ故郷からこんなに近いところに、私は数年前長い間滞在していたし、いろんなプロジェクトに携わった。不思議。あとからジョルジュ母に聞いた話だが、ジョルジュ祖父はナチス時代、当時刑務所だったフォントヴロー修道院に短期間収監されていたこともあったらしく、ジョルジュと仕切りに「本当に不思議なご縁だ」と何回も話した。
いろんなことが繋がっていて本当に不思議。


そのあとは修道院に戻って、敷地の周りを散歩。
こんな遠いところまで歩いてきた。
すごく気持ちがよかったー
戻ってきて敷地内を歩く

そして彼はボルドーに帰って行った。
私は誰もいないフォントヴローにひとりぼっち。私を成長させてくれたかけがえのない場所、とても感謝している。

大きなプロジェクトも終わったし本当に寂しくて悲しかった。
だけど実は冬にまた別の仕事を提案されて戻ってくるんだけどねー

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