とある名高いスペインのアーティストインレジデンスの書類審査に通って、めでたく最終選考に進みました。まさか自分が3人のうちに入ると思ってなくてびっくり。なので実は今週はずっと最終面接に向けて練習をしていました。
(例の講義を受けながらだったので、本当に落ち着かない1週間だった…)
アトリエにて。
空いた時間を見つけてはカメラで自分を映しながら、何度も復唱する毎日。笑
取り憑かれたように一人もくもく話す姿は滑稽だっただろう
館長にもアドバイスをもらったり、当日緊張ですべての記憶が一気に飛ばないように何度も何度も練習して挑んだZOOMでの面接。。
結果、だめでしたー
かなりショックで2時間半くらいめちゃくちゃしょげていたのですが、別にこのレジデンスが人生のすべてではないか、と思ったら気が楽になったのと、ただ単に「縁がなかった」んだなと思いました。
私はいわゆる就職活動というものをしたことがないので、そういった類の面接は受けたことがありません。人生で受けた面接らしい面接は
・金沢美大受験
・フランス・ナンシー市1年交換留学試験
・ナンシー美術学校への短期交換生面接
・渡仏のための某財団奨学金試験
・今回のレジデンスのための面接
5回だけです!少なっっ
( 制作の過程で出た廃材だけど、綺麗だな)
(とある日の弁当)
大学の入学試験は1分とかそこらで全然緊張しなかった。全く記憶にないくらい。
ところが大学3年?に受けた、フランスのナンシー行き(1年間)をかけたこの試験は本当によく覚えている。市役所の会議室で行われたこの面接。あまりにもナンシーに行きたいあまり、もう躍起になりすぎていたのでしょう、試験官の人に
「ふ、古市さん!とりあえず落ち着いて!まず落ち着いて!」
と、一旦面接中断させられ、なだめられたのでした。笑
今思い出しても恥ずかしいし同時にめちゃくちゃ笑えてくるのですが、もうあれだけ熱がこもりすぎると、人間おかしくなるんだなーってくらいやばかったと思う。そんな情緒不安定な暑苦しい人は流石に海外に送れないよねってことで、もちろん落ちました。(号泣しながら先生に電話して、先生めっちゃ困ってた笑)
人生のどん底って感じでなかなか立ち直れなかったのだけど、結果的には絶対落ちてよかった。のちに住むことになったナント市に11年もいるなんて、やっぱりナンシーよりナントに縁があったのだろう。
ちなみにその後1ヶ月だけナンシーに滞在することになる。美大が応募したナンシー美術学校短期留学生試験では無事すんなり受かった。応募者が少なかったのと、学生の仏語レベルが低かったのかもしれない。そして晴れて、あんなに行きたかったナンシーに1ヶ月ほど滞在したけど、全然友達ができなかったし毎日泣いてばかりだった。このことは以前このブログでも書いたように記憶する
その後
今度はナントに行くための某財団奨学金の面接でも私はめっちゃ緊張していたし仏語もたどたどしかったと思うのだけど、まさかのまさかで合格。翌日の合格者を集めたパーティで試験官の人に
「あぁーきみ!!きみはね、笑ってたから選んだよ!!」
と言われたのだった。
私にとってこれほどの褒め言葉はなく、素直にめちゃくちゃ嬉しかった。この一言はずっと忘れないし、とても感謝している。(でも自分で笑った記憶は全然なかった。)
そして今回のZOOMによる面接。
アーティストインレジデンス といっても本当に多種多様で、プロジェクトを重視するところもあれば今までのアートワークを重視するところもある。やっぱり審査官の好みやフィーリングもあるし、なんで私が落ちたのかって、やっぱり縁がなかったからなんだと思う。
滞在計画内容を明確に説明しているつもりでも、いまいち理解されてない感じがあったし、結果を聞いた時「やっぱりなー」と素直に思ったのだった。
けど面接中審査員の皆さんは大笑いしてくれたし、硬い表情が一気にほぐれたのを見たときは「よっしゃ」とは思ったのだけど、まぁ難しいですわ。
数日前 館長と作戦を練っていたとき
「わかってると思うけど、もし万が一牧子が選ばれなくても、牧子の作品や計画が否定されているわけでは決してないからね。だから落ち込む必要なんてないからね」
と言ってくれていた。
館長ありがとう。
昨年カナダのケベックへアーティストインレジデンスで派遣させてもらったけど、提出した計画書で私は恥ずかしながら「ケベックシティ」と「ケベック州」をごちゃまぜにしていたのだ。審査をしたのは現地のケベックの人たち、私の計画書をよんで絶対にいい気分にはなってなかったと思う。私はとんでもない愚か者だったはずだが、それでも私はなぜか選ばれた。今となっては不思議だけど、それはきっと縁があったからだ。
何かに合格したからといって、そのあと全てがうまくいくかというとそうでもないし、本当によくわからんものだ、試験や面接というものは。
(例の講義を受けながらだったので、本当に落ち着かない1週間だった…)
アトリエにて。
空いた時間を見つけてはカメラで自分を映しながら、何度も復唱する毎日。笑
取り憑かれたように一人もくもく話す姿は滑稽だっただろう
館長にもアドバイスをもらったり、当日緊張ですべての記憶が一気に飛ばないように何度も何度も練習して挑んだZOOMでの面接。。
結果、だめでしたー
かなりショックで2時間半くらいめちゃくちゃしょげていたのですが、別にこのレジデンスが人生のすべてではないか、と思ったら気が楽になったのと、ただ単に「縁がなかった」んだなと思いました。
私はいわゆる就職活動というものをしたことがないので、そういった類の面接は受けたことがありません。人生で受けた面接らしい面接は
・金沢美大受験
・フランス・ナンシー市1年交換留学試験
・ナンシー美術学校への短期交換生面接
・渡仏のための某財団奨学金試験
・今回のレジデンスのための面接
5回だけです!少なっっ
( 制作の過程で出た廃材だけど、綺麗だな)
(とある日の弁当)
大学の入学試験は1分とかそこらで全然緊張しなかった。全く記憶にないくらい。
ところが大学3年?に受けた、フランスのナンシー行き(1年間)をかけたこの試験は本当によく覚えている。市役所の会議室で行われたこの面接。あまりにもナンシーに行きたいあまり、もう躍起になりすぎていたのでしょう、試験官の人に
「ふ、古市さん!とりあえず落ち着いて!まず落ち着いて!」
と、一旦面接中断させられ、なだめられたのでした。笑
今思い出しても恥ずかしいし同時にめちゃくちゃ笑えてくるのですが、もうあれだけ熱がこもりすぎると、人間おかしくなるんだなーってくらいやばかったと思う。そんな情緒不安定な暑苦しい人は流石に海外に送れないよねってことで、もちろん落ちました。(号泣しながら先生に電話して、先生めっちゃ困ってた笑)
人生のどん底って感じでなかなか立ち直れなかったのだけど、結果的には絶対落ちてよかった。のちに住むことになったナント市に11年もいるなんて、やっぱりナンシーよりナントに縁があったのだろう。
ちなみにその後1ヶ月だけナンシーに滞在することになる。美大が応募したナンシー美術学校短期留学生試験では無事すんなり受かった。応募者が少なかったのと、学生の仏語レベルが低かったのかもしれない。そして晴れて、あんなに行きたかったナンシーに1ヶ月ほど滞在したけど、全然友達ができなかったし毎日泣いてばかりだった。このことは以前このブログでも書いたように記憶する
その後
今度はナントに行くための某財団奨学金の面接でも私はめっちゃ緊張していたし仏語もたどたどしかったと思うのだけど、まさかのまさかで合格。翌日の合格者を集めたパーティで試験官の人に
「あぁーきみ!!きみはね、笑ってたから選んだよ!!」
と言われたのだった。
私にとってこれほどの褒め言葉はなく、素直にめちゃくちゃ嬉しかった。この一言はずっと忘れないし、とても感謝している。(でも自分で笑った記憶は全然なかった。)
そして今回のZOOMによる面接。
アーティストインレジデンス といっても本当に多種多様で、プロジェクトを重視するところもあれば今までのアートワークを重視するところもある。やっぱり審査官の好みやフィーリングもあるし、なんで私が落ちたのかって、やっぱり縁がなかったからなんだと思う。
滞在計画内容を明確に説明しているつもりでも、いまいち理解されてない感じがあったし、結果を聞いた時「やっぱりなー」と素直に思ったのだった。
けど面接中審査員の皆さんは大笑いしてくれたし、硬い表情が一気にほぐれたのを見たときは「よっしゃ」とは思ったのだけど、まぁ難しいですわ。
数日前 館長と作戦を練っていたとき
「わかってると思うけど、もし万が一牧子が選ばれなくても、牧子の作品や計画が否定されているわけでは決してないからね。だから落ち込む必要なんてないからね」
と言ってくれていた。
館長ありがとう。
昨年カナダのケベックへアーティストインレジデンスで派遣させてもらったけど、提出した計画書で私は恥ずかしながら「ケベックシティ」と「ケベック州」をごちゃまぜにしていたのだ。審査をしたのは現地のケベックの人たち、私の計画書をよんで絶対にいい気分にはなってなかったと思う。私はとんでもない愚か者だったはずだが、それでも私はなぜか選ばれた。今となっては不思議だけど、それはきっと縁があったからだ。
何かに合格したからといって、そのあと全てがうまくいくかというとそうでもないし、本当によくわからんものだ、試験や面接というものは。
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