2022-06-05

美術学校の卒業試験官をつとめることになった話

今年2月だったと思うけど、別府に滞在していた。
朝起きてメールチェックすると、ナント美術学校時代の恩師からメールが届いていた。今も現役で先生をしており、わたしもたくさんお世話になったマルク。メールの内容はなんと
 
「牧子にナント美術学校の5年生(大学院2年)の卒業試験の審査員をしてほしいんだけど、どうかな?今年は2人も絵を専門にしている学生がいるし。」
 
だった。
 
 
わたしは別府で唸った。
いや、心の中で、叫んだ!
 
 
「はあああぁぁぁぁぁ わたしが・・・・!?????出来るわけねーーーじゃん!!!!」




仏語も完全にままにならないわたしが、どうして審査員など出来ようか(できない。反語)。。。しかも卒業試験がある6月に、すでにいろいろ予定があるのでまず予定が合うかわからん。っていうか何故にわたしなのか?疑問しかない。
何度かメールのやりとりをして、結局承諾することにした。わたしが試験官としてどうとかより、ただ単に学生の作品が見たい!と思った。
数年前から学校のシステムが変わって、日本でいうゼミのような制度が導入され、1学年30数名を一気に審査するのではなく、試験官も各ゼミで異なる。つまり受け持つ学生の数が減るということ。わたしは9名の学生を担当した。
審査員は全部で5名。マルク、わたし、そして論文担当も兼ねた美術批評家、ほかアーティスト2名。わたし以外全員美術学校で教鞭をとっている方々である。みんなわたしより10歳以上年上。
 
 
 
 
 
提案を受けてからそわそわした日々を過ごした。
事前に学生らが書いた論文を送ってもらったけど、難解。。。こんな感じで試験管なんて務まるのだろーか・・・と自分の非力さに絶望したり。そう心配するわたしはマルクと何度もやりとりをした。
 
わたし「論文難しいいい…不安しかない、、」
 
マルク「まきこ!そうだろうと思った。けれど論文の口頭試験はもう終わっているし、牧子は彼らの作品を見て、アーティストとしての意見を言えばいいだけだから。心配しないで!君はアーティストであって、批評家でも美術史学者でもないのだから。それはそうと、今回僕が招待した審査員はみんな苗字がFで始まるんだよ、偶然にしてはすごすぎるだろう、はははは!」
 
と、さすがイタリア系仏人、明るい(笑)
なんて楽観的なのだ。電話越しにキラキラした光が届く。
 
 
 
 続く

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