2022-06-06

美術学校の卒業試験官をつとめることになった話2

試験前日。
わたしはナントに戻り、審査員のみなさんと顔合わせ・食事をした。

そこにはなんと、わたしが学生時代超苦手としていた美術史家の先生Vがいた。

彼女は博識でさっぱりしておりちょっと冷たい感じのする人であった。フランスに来て学生になりたての頃、彼女の授業でレポートを提出が求められた。仏語力底辺のわたしにそんなん出来るはずもなく、でもわたしなりにレポートを書いて出したのだが、わたしの他に韓国人と中国人の学生合わせて3人のレポートだけ受理されなかったのだった。他の美術史の先生らはかなり優しく、私たちのちんぷんかんぷんなレポートにOKを出してくれたのに、V先生だけは容赦なかった。。。
その思い出もありとにかく彼女と話すのが怖かった。そもそも彼女の言うことが理解できるかもわからず、とにかく逃げていた。


その人が微笑みながらテーブルに座っている。。
彼女が来ることは聞いてはいたけど、実際目の前にすると蘇る昔の思い出…。つら
11年ぶりの再会。



挨拶をする。
彼女はめちゃくちゃ嬉しそうにわたしを受け入れた。
あれ?こんな優しかったっけ?
戸惑うわたしを置いて、食事は楽しく進行した。
審査員のみなさんと親しくなっていく。

なんやこれ、楽しいぞーーーー


初めて卒業試験の審査をするわたしはとにかく不安で心配だと、正直に皆さんに伝えた。するとV先生は
「なにがそんなに不安なの牧子。卒業試験はいわゆる試験官と学生の出会いなのよ」

出会い!

衝撃だった。そんな考え方したことなかった。
そのとき気づいたのだけど、わたしは卒業試験そのものにものすごくトラウマがあったのだ。あまりに緊張しすぎて試験の数週間前ひどい膀胱炎になったこと、言葉の壁、日本でほとんど学ばなかった作品のプレゼン。そういうのが積み重なって自分の中に大きな壁を作っていたのだ。しかももし試験に落ちたらもう1年残って学業を続けるなんて金銭的に難しかったし、勝手に自分を追い詰めていたのだ。



試験官なんてどうせこれが最初で最後。
学生の作品を楽しんでじっくり見て、楽しもうと思った。
自分のわだかまりみたいなのが、少しだけだけど成仏するのを感じた。
(もちろん緊張は全く取れず、1週間前からよく眠れなかった)






当日。昼過ぎから試験は始まった。2日に渡るドキドキ審査。
各学生45分。学生はそれぞれ作品らを全て設置済み、そこに私たち5人が出向いてプレゼンがスタートする。30分のプレゼンと15分の質疑応答。中にはパフォーマンスをする学生もいたり。絵画、ビデオ、写真、インスタレーション、文章、様々な媒体の作品が並ぶ。

詳しいことは書かないけど学生らの熱意とか彼らそれぞれの独特な世界が垣間見れて、みんな本当によかった。。。結局全員がちゃんと卒業資格を得た。おめでとう!

彼らは2年前、コロナの影響で学士課程の卒業試験が免除されたそうだ。だからこんな風に試験官とやりとりしたりする「出会い」が無かった。そのため試験を楽しみにしていた学生が多かったそう。


毎回プレゼンが終わると控え室に戻って試験官5人で議論するのだが、感じたことの言語化がめちゃくちゃ難しかった。みなさん現役で美術学校の先生なのでお手の物。それをするのが仕事なのでめちゃくちゃ有能。だけど、こちらときたらそういうのがまさに苦手。
あんまり役にたってなくてごめん。笑
自分の語彙力のなさに絶望しながらも、なんとか無事終わって腑抜けのようになった。もっと語彙力増やして知識も深められたらまた試験官やるかもしれないけど、しばらくはいいかな。。



しかし卒業試験がこんな感動的なものだとは知らなかった。





余談だけど、この美術学校の卒業生でもあるわたしは学校内で知っている人に会いまくった。
お世話になった先生、
図書館のスタッフのみなさん、
事務のみなさん、
各アトリエの技術者の方達。。。
みんなわたしが今回審査員で呼ばれたことを知っており、廊下で会うとすごく嬉しそうに「おかえり牧子!審査員なんてすごいね!最近の活躍も見てるよー!」と声をかけてくれたのだった。もう嬉しすぎるー!
仏語ができなくて、制作で悩みまくって自分を失っていた時代を一緒に過ごした人々がこうしてわたしを応援してくれているというのは、感慨深かった。




試験が終わって2日後、V先生からメールが来た。
「濃密な時間を共有出来たこと、本当にありがとう。学生らはとても幸せです。またの機会に牧子に会えることを楽しみにしています」

わたしの中でやっぱり何かが成仏した。

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