この前、友人宅でAが撮ってくれた写真。
歯科矯正を終えてから、自分の写真を撮ってもらうのがあまり怖くなくなった。これって私の中ですごい革命だ。歯並びの良い人はこのコンプレックス自体皆無の生活を送っていたのだなと思うと、すごい驚くし羨ましい。
自分が自分のことを好きになれなかったら、一体誰が自分のことを好きになってくれるというのだ。両親?パートナー?みんな自分の生活で精一杯だから、そんな暇ない。だからこそ自分が自分を労わってやらないといけないと思う。
歳をとるごとに、自分のことをだんだん好きになれていると思う。
自分がしたい、と思うことを少しずつ出来ているからかもしれないし、歯科矯正のようにコンプレックスを少しずつ打破しているからかもしれない。
色々理由を考えたのだけど、多分歳をとるごとに物事を「自分で決めている」からかなと思った。制作活動に関して、私は長く生活を共にした前のパートナーBの意見をすごく大事にしていて、むしろ彼にすごく頼っていた部分があったのだ。彼は博識で私は絶大な信頼を置いていたが、多分彼に「それは違う」と言われるのをすごく恐れていた。
今は一人で好きなことを好きなだけやっていて、時々必要なとき友人らから意見を聞く。Aからも意見を聞く。でもちゃんと自分で最終決定をするのだ。すると失敗しても自分のせいだし、踏ん切りがつく。
Bから学んだことは今にとても生きているし、あれはあれでよかったと思うのだけど、やっぱり何もかも人に決められる人生は体にも頭にもよくない。こんな当たり前のことを、理解していたつもりだったけど全然実行できてなかった。それは私が弱かったから。臆病だったから。
Aは感情を外に出さないと生きていけないタイプだ。
思ったことはすべて口に出すし(最低限の気の使い方はできるけども)、物事はかなりハッキリ言う。野生動物とはこういう生き物をいうのでは、と最初本当に驚いたけど、相手がこういう人だと自分も意見しやすくなる。私も出来る限り思いを率直に伝える。彼はきちんと人の話を聞くことが出来るから。
そして彼は感情を表に出すがテキトーに発言しているわけではなく、毎回いたって超真面目だ。きつい言い方であってもそれは相手を戒めるために言うことは決してないのだ。それがわかると、この人といるのはものすごい楽だと気付いたのだった。
自分の話をしていたのに段々話題がAに至ってしまったが、何が言いたいかと言うと彼はとても「人間的」で、私ももっと自分の本質に頭や体を委ねて彼のように人間的に生きていきたい。きっとその方が道理にかなっているし、楽だし、楽しいと思う。
またまとまりのない文章だけど、いいのだ。読みにくくてすいませんね
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