2022-06-09

レジデンス最終週

またLes Ponts-de-Céに舞い戻ってきております。最終週!
トラックに貼るやつ。切り続ける。全部で幅1.4メートルx長さ15メートル分頼んだけど、足りるかな。
 
 
 
今回泊まるお家には鶏が二匹いて、初日さっそく産まれたての卵もらったどー まだ温かい。
 
まだいくつかワークショップしなければ。
思春期の中学生は本当に元気。男のたちがこんな面白い絵を描いてくれた。宇宙だって!みんなやんちゃなノリで描き進めてたけど、すげーいい色が出て素晴らしかったー!
 
こちら、やっと行けたパン屋
Atelier Létanduère !!!!
アンジェ駅の近くにあって、日本人の方が経営されています。スタッフもほぼ日本人のみ?以前ここに書いたけど、ワークショップで出会った生徒のお母さんが日本人の方で、なんとそのあと連絡を頂き、このパン屋さんにお勤めだということでお伺いしたのです!陽子さんありがとうございました!
 
メロンパンとかカレーパンとかクリームパンとか、フランスでは食べられない美味しいパンが売っており、もう最高です!!!
なんでこんな貴重な情報知らなかったのか!と悔やまれます。今回私が選んだのはお好み(焼き?)パンとメロンパン、あとはクリームチーズパン?とレモンタルトパン?(名前めっちゃうろ覚えですみません)
最高に美味しかったです。(半分しかまだ食べきれてませんが)
今回残念ながらカレーパンには出会えず、また行かねば!と思っております。
 
久しぶりに日本語も話せて本当に嬉しい。スタッフの皆さんもとても優しい方ばかりで、本当におすすめです。

2022-06-06

35歳の大人が公衆の前で大泣きした話

卒業試験官が終わってホッとした翌日は、フォントヴロー修道院に行きました。夏の展示のプログラムに、私が手がけた鐘が入っていたので呼ばれたのです。オープニングレセプションです!
 
 
この日をめちゃくちゃ楽しみにしていた。なぜなら今回フォントヴロー修道院のメイン会場でFrançoise Pétrovitch(フランソワーズ・ペトロヴィッチ)が個展をするから。彼女は世界的にも有名なアーティストで、水彩やインクを使った作品が特に有名だ。私が水彩を使って絵を描いているのを見て、ずっとずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーと昔からいろんな人に「Françoise Pétrovitchって知ってる?」と言われ続けてきた。これを読んでいる皆さん(そして私の作品を知っている皆さん)に是非彼女の作品を見て欲しいが、絵の具のにじむ感じとか、絶対「あ!」って思うと思う。
 
もちろん前から彼女の作品知ってるし、大好きだ。ダイナミックな構図や色の使い方、主題も好き。だからこそ彼女のコピーと言われないように、とめちゃくちゃ気をつけてきたのだ。



そんな彼女に会えるなんて、夢のようだと思っていたけど
その夢を叶える日がやってきた。
 
 
 
 
フォントヴロー修道院に着く直前通った森で、こんなものを見た。
最初、なにが何だかわからなかった。地面一体に、塩?
 
やたら滑るのでやっと「あーーー!雹か!!!」と気づいた。粒が巨大すぎて、おそらく直径1.5センチくらいあった。車が揺れる揺れる。
そのあとフォントヴローに着くと、みんなが「雹でガラスが少し割れた」「車のボンネットが凹んだ」と言っていた。恐ろしやーーー もう少し早く着いてたら、私の車もベコベコになっていかもしれない。
 
 
 
 
 
そんなこんなでオープニングレセプションが始まった。
天気は良好。あの嵐は一体嘘だったのか?という感じ。

参加アーティスト全部で10人くらい。
オープニングに参列した人200人。
私の鐘も元気。



すべての行程が終わって一般の人が解散。
その後内輪だけで食事会があったのだが、その直前にアートディレクターのエマニュエルと話をしていると、あのフランソワーズがやってきた。
エマニュエルは彼女に「こちらが牧子だよ」と私を紹介した。
 
すると一言
「あなたが牧子ね!鐘の仕事、素晴らしいわ!」
と言ったのだった。


あまりに唐突に褒められたのと、そもそも褒めてくれた相手がずっと昔から好きだったフランソワーズだったこともあり、
自分でもめちゃくちゃ驚いたのだが
なんと公衆の目の前で嬉しくて泣いてしまったのだった。

堪えようと思っても全然堪えきれない。
 
涙が止まらなすぎて、手で顔を覆うしか出来なかった。ワンワン泣きすぎて口から一言も出ない。なんてことをしでかしてしまったのだ自分…と思うけど、あまりに嬉しすぎて嬉しすぎて、泣くことしか出来なかったのだ。
 (今もその時のことを考えるとちょっと泣けてくる…)
 
 
 
びっくりするフランソワーズ。と彼女を取り巻く人々。
私を見て何故か、もらい泣きするエマニュエル(笑)(ホントいい人…)
 
エマニュエルが私にハグをしてくれて、私もっと泣いた。。。(恥ずかしいーーーー)エマニュエルいい香りする…笑




この微妙な雰囲気の中、フランソワーズはサッとカッコよく
「牧子、2人で写真撮ろう!」と言ってくれた。
ジャアアアアアン
この時こそ笑顔だが、さすがに泣き顔で写真は撮れずちょっと経ってから撮らしてもらった。笑
 
 
 
そのあとみんなで同じテーブルで食事をしたのだけど、彼女のプロらしい堂々とした態度、するどい発言、本当に恐ろしくカッコよかった。。。
やっぱ世界で活躍する人は違う。


いろんな人に褒めてもらうことはあるけれども、自分が尊敬するアーティストに褒められるとこんなにも嬉しいものなのか。。
鐘の作成中感動する場面はいっぱいあったし何度も泣きそうになったことはあっても、こんな風に人前で泣いたのは初めてだった。(いつも「泣く時は家でこっそり」がモットーの私)
 
 
 
 
今までいろんなことがあって制作を続けてきたけど、やっぱり辛いことも多い。だけど彼女の一言で本当に「今まで頑張ってきて、本当に、本当に、本当に良かった…」と思ったのだった。

 

美術学校の卒業試験官をつとめることになった話2

試験前日。
わたしはナントに戻り、審査員のみなさんと顔合わせ・食事をした。

そこにはなんと、わたしが学生時代超苦手としていた美術史家の先生Vがいた。

彼女は博識でさっぱりしておりちょっと冷たい感じのする人であった。フランスに来て学生になりたての頃、彼女の授業でレポートを提出が求められた。仏語力底辺のわたしにそんなん出来るはずもなく、でもわたしなりにレポートを書いて出したのだが、わたしの他に韓国人と中国人の学生合わせて3人のレポートだけ受理されなかったのだった。他の美術史の先生らはかなり優しく、私たちのちんぷんかんぷんなレポートにOKを出してくれたのに、V先生だけは容赦なかった。。。
その思い出もありとにかく彼女と話すのが怖かった。そもそも彼女の言うことが理解できるかもわからず、とにかく逃げていた。


その人が微笑みながらテーブルに座っている。。
彼女が来ることは聞いてはいたけど、実際目の前にすると蘇る昔の思い出…。つら
11年ぶりの再会。



挨拶をする。
彼女はめちゃくちゃ嬉しそうにわたしを受け入れた。
あれ?こんな優しかったっけ?
戸惑うわたしを置いて、食事は楽しく進行した。
審査員のみなさんと親しくなっていく。

なんやこれ、楽しいぞーーーー


初めて卒業試験の審査をするわたしはとにかく不安で心配だと、正直に皆さんに伝えた。するとV先生は
「なにがそんなに不安なの牧子。卒業試験はいわゆる試験官と学生の出会いなのよ」

出会い!

衝撃だった。そんな考え方したことなかった。
そのとき気づいたのだけど、わたしは卒業試験そのものにものすごくトラウマがあったのだ。あまりに緊張しすぎて試験の数週間前ひどい膀胱炎になったこと、言葉の壁、日本でほとんど学ばなかった作品のプレゼン。そういうのが積み重なって自分の中に大きな壁を作っていたのだ。しかももし試験に落ちたらもう1年残って学業を続けるなんて金銭的に難しかったし、勝手に自分を追い詰めていたのだ。



試験官なんてどうせこれが最初で最後。
学生の作品を楽しんでじっくり見て、楽しもうと思った。
自分のわだかまりみたいなのが、少しだけだけど成仏するのを感じた。
(もちろん緊張は全く取れず、1週間前からよく眠れなかった)






当日。昼過ぎから試験は始まった。2日に渡るドキドキ審査。
各学生45分。学生はそれぞれ作品らを全て設置済み、そこに私たち5人が出向いてプレゼンがスタートする。30分のプレゼンと15分の質疑応答。中にはパフォーマンスをする学生もいたり。絵画、ビデオ、写真、インスタレーション、文章、様々な媒体の作品が並ぶ。

詳しいことは書かないけど学生らの熱意とか彼らそれぞれの独特な世界が垣間見れて、みんな本当によかった。。。結局全員がちゃんと卒業資格を得た。おめでとう!

彼らは2年前、コロナの影響で学士課程の卒業試験が免除されたそうだ。だからこんな風に試験官とやりとりしたりする「出会い」が無かった。そのため試験を楽しみにしていた学生が多かったそう。


毎回プレゼンが終わると控え室に戻って試験官5人で議論するのだが、感じたことの言語化がめちゃくちゃ難しかった。みなさん現役で美術学校の先生なのでお手の物。それをするのが仕事なのでめちゃくちゃ有能。だけど、こちらときたらそういうのがまさに苦手。
あんまり役にたってなくてごめん。笑
自分の語彙力のなさに絶望しながらも、なんとか無事終わって腑抜けのようになった。もっと語彙力増やして知識も深められたらまた試験官やるかもしれないけど、しばらくはいいかな。。



しかし卒業試験がこんな感動的なものだとは知らなかった。





余談だけど、この美術学校の卒業生でもあるわたしは学校内で知っている人に会いまくった。
お世話になった先生、
図書館のスタッフのみなさん、
事務のみなさん、
各アトリエの技術者の方達。。。
みんなわたしが今回審査員で呼ばれたことを知っており、廊下で会うとすごく嬉しそうに「おかえり牧子!審査員なんてすごいね!最近の活躍も見てるよー!」と声をかけてくれたのだった。もう嬉しすぎるー!
仏語ができなくて、制作で悩みまくって自分を失っていた時代を一緒に過ごした人々がこうしてわたしを応援してくれているというのは、感慨深かった。




試験が終わって2日後、V先生からメールが来た。
「濃密な時間を共有出来たこと、本当にありがとう。学生らはとても幸せです。またの機会に牧子に会えることを楽しみにしています」

わたしの中でやっぱり何かが成仏した。
 
コルテオ 太陽光発電