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2025-02-15

心がえぐられる

バレンタインデー、ランチは友人のトマッシュと。
ジョルジュは2週間ほど前にフランスに戻ってきてはいるんですが、シャモニーにいるから!

大きいバラがテーブルに。
タルタル(なま肉)を!
デザートも
横で食べていたカップルが、ランチの時間帯も終わりごろ、そこらじゅうのテーブルのバラをかき集めて写真撮ってた。すごいかわいかった〜!!!

今借りているアトリエはめちゃくちゃ寒くて湿度が高い。だからユニクロのヒートテックを重ね着し、シャモニーで買ったスパッツ(と言うのか?今頃はなんと呼ぶんだろか)を履いて毎日臨んでいる。
散歩もする。
この白い部分、髑髏の横向きに見える!

ナントのとても近しい友人に私の私生活のことをとやかく言われた。
少しお酒が入っていたからかわからないけど、かなり攻撃的であった。

文化大臣がわたしの展示を訪問したことを私がSNSでシェアしたことを話にあげ、「なんでそんなことをしたのか」「ありえない」と猛烈に批判。ついには「まきこは南に引っ越してから変わってしまった」「牧子は、前はオルタナティヴなバンド・デシネや本のアーティストらと交流があったけど今はもう、お金が集まる現代アートの世界を選んだものね」とすごく嫌味を言われた。しまいには私の大好きなトゥーロンの友人らのことも批判しはじめ、流石に私も痺れを切らした。
(彼女は私がパリのギャラリーと契約したことを喜んでくれていたけど?)


現文化大臣の政治理念とか政党とか、もちろん知った上で私はシェアした。たとえ考え方が違ったとしても、大臣は会見で「アートテックの活動を支援する」と発言したし、このご時世こういった良い知らせはシェアしてなんぼ、と私は思っているから。私はアートテックのスタッフとも仲がいいし、彼らにとってこの助成制度の提案はかなり有り難かったから。あと右が、左が、といって根本的なところから毛嫌いしているとなんの解決法にもならないじゃないか。。。


そして私の活動や私生活についてとやかく言われたのもかなり吐き気がしたものだ。彼女は私のトゥーロンの友人らを批判しはじめ、(一度も会ってないのに)、トゥーロンのことも知りもしないのに「南仏は〜」と批判。。
そして、私はお金を稼ぐことを選んだと言うけど、まずわたし、生きるためにお金を稼がなきゃいけないんですけど。不安定な職業だから尚更。ちなみに私を非難したその人は実家が太いから豪邸を私の知る限り3件持っているし、働かなくても生活に困らない人なのだ。

お酒を飲んでいた、からと言って許される話ではない。
あんなに近しい存在だったのに、こんなに突然意味もなく批判されると思ってなかったし、すごく悲しい。しばらく会いたくない。

前から 彼女からこう言った頼んでもいない「助言」をされることが多々あり、ちょっと嫌だなぁと思っていた。今回はそれがとても攻撃的で、しかも彼女の話が彼女の「憶測」で成り立っているのを聞いて(もう勘弁してくれ…)と思った。私が活動の幅や機会が広がって、喜んでくれると思っていたけど、逆だった。
実際私が辛い時に何度も助けてくれた大事な人だったのに。怒りというよりか、めちゃくちゃ悲しい。


わたしという存在が、お金持ちの夕食の話題になっているだけという感じもする。みんな暇なんだろうか。

2025-01-30

富士額

レオのオープニングの翌日、本当に声という声を失った。声を失うということがこれほど日常生活に影響があると思ってなかった。
スーパーに行く時はセルフレジのところを選ぶようになった。挨拶しないで済むから。
パン屋でサンドイッチを買う時、が一番困った。
オフィスでみんなに話したいことがいっぱいあるのに、何にも言えない。


2日後くらいにやっとガラガラ声が出るようになった。
何百年も前から生きてる魔女っぽいなーと思った(会ったことないけど)。それか「ハスキー声の女ヤクザ」とでも言おうか。(会ったことないけど)

そんなガラガラ声でも、レジーヌとナオちゃんにばったりあったので3人でランチ。雨が降っていたのでマフラーを頭に巻くレジ〜ヌ巻きをして写真撮った。
なおちゃんに「まきちゃんのおでこは富士額だね!」と言われた。(この写真じゃ全然そんなふうに見えないけど)
フジビタイ。。。
恥ずかしながらそんな言葉さえ知らなかった!無知すぎる!教えてくれてありがとうナオちゃん。
まさか自分のおでこに富士山を発見されるなんて、思ってもみなかった。なんかありがたいし、神々しいなぁ。そんな日本語の表現があるんだなーと思ってレジーヌにそれを説明しようと「私のおでこにー富士山がー」と言い始めて、自分でも面白くて大爆笑しちゃった。


余談ですが、
今まで37年生きてきて初めてこんなにおでこを全開にして生活している。元はと言えばジョルジュに「牧子はおでこを出した方が絶対似合う!」と言われたからで、半信半疑でやってみると実に「楽だ」と言うことに気づいたのだった。
人の影響は計り知れない。自分でも思ってみないようなことを、人のさりげない一言が原因で出来ちゃうことだってあるのだね。以前の私なら絶対におでこをこんなに人に見せようと思わなかっただろう。ヒトは変わるものだね。




今週は大人しくアトリエで制作の毎日。
我が家とアトリエの往復をするばかりだけど、この日常が愛しいです。
声は割と取り戻したけどいまだに喉は痛い。
最初の喉の違和感から10日も経った。こんなに長引くだろうか。
あと1週間経っても痛かったら医者に診てもらおう。

2025-01-25

ギャラリストの2人がアトリエへ

私の壁画の横に、おそらく近所の若者らの落書きがあった(赤い部分)。見事に私の壁画部分を避けてくれており、ちょっと感動した!
一応何かしら「手をつけてはいけないもの」と認識してくれているんだろうか。あんやと〜
これを見てオフィスのジュリアンが「町中に牧子が絵を描いたら落書きなんてなくなるんじゃないか」って冗談言ってた。はははー



昨日は私が所属するギャラリーLes Filles du calvaireから、アートディレクターとスタッフの二人がわざわざパリからトゥーロンに来てくれました。3月末にギャラリーで個展をするので、作品の進行具合チェックと色々な打ち合わせを兼ねて。(パリから電車4時間乗ってきてくれるのが本当にすごい)

めちゃくちゃ緊張した。。。
もう数日前から全然落ち着かない!

作品もだいぶ進めてたし、出来上がってる作品もたくさんあって問題ないはずなのだが。今回は大きめの油絵を描いており、多分今までで初めてナント以外で油絵作品を発表する。今までずっと水彩とか壁画ばっかり発表してて、油彩作品からは遠ざかっていたのでちょっと初心に戻ろうと思って。一応彼女たちに伝えてはいたものの、どんなものを描いているとか言ってなかったし、かなりサプライズだった。

すごく話しやすくて(タメ口だし)、そもそも本当に良い人たちなので全く緊張する必要ないのに、めちゃくちゃ緊張した。。。結果、とても良い反応をもらったし楽しいひと時となりました〜
あああ良かったー〜ーほっとしたー〜ー


ひとまず終わって港でランチ。
あまりに強い日光が当たってびっくりするパリジェンヌたち。天気良すぎ、南!

アーティスト誰しもが有名ギャラリーに専属することを夢見ていると思う。私はいろんなご縁があって彼らと契約を結ぶことになり、とっても嬉しいのだが、実際は契約した「あと」が大・大・大・勝負。
制作はコンスタントに続けていかなければいけないし、良いものを作り続けねばいけないし、かといって似たようなものばっかり作っててもしょうがない。
ギャラリーのメンバーに入ってても全然活動してなかったら悲しいし、売れなくても悲しい。かと言って売れるからいいっていうわけでもなく、ちゃんと作品の質を上げてやアートシーンを引っ張るような野心的な作品も作れるといいよね。

いうのは簡単だけど。
なかなか厳しい世界です。

ギャラリーに入ってしまえば売れる、と思っている人が周りに多くてびっくり。そんなわけないじゃん!


それなりに苦労もあってめちゃくちゃ大変だけど、この仕事本当に好きだもんね。だから年がら年中・昼も夜も作品や展示のことばっかり考えている生活を送れている。


自分がすごくラッキーだと思うのは、ギャラリーの彼女たちがとても話しやすくなんでも打ち明けられること。カジュアルで楽な関係でありながら、ちゃんと作り手を心から尊重してくれることです。ギャラリーって本当にピンキリだから。。。

ありがとう。。。


ランチの後は3人で電車に乗ってモンペリエへ。

2024-08-12

オリンピック女子バスケットの試合

この写真、足を水の中に入れているのだけど
水が透明すぎて全然そういうふうに見えない。
今朝は水温がすごく高かった。 

昨夜はとても蒸し暑く寝苦しい夜だった。
暑い、とはいっても 我が家にクーラーも扇風機もない。でもなんとなくやっていけている程度の暑さだ。(日本だったら考えられない)
 
南に移住して嬉しいのは、「夏っぽい服」を心置きなく着れることだ。背中やくびまわりがガバッとあいた服とかおへそが見えたりする服でも、普通にきれちゃうのがいい。人の目なんてどうでもいいのだ、自分が好きなものを着るべし。
そして昨夜はオリンピックの閉会式でしたね。
 
日曜の昼間、オリンピックバスケットボール女子決勝の試合フランス対アメリカを見ていた。アメリカ6点リードの最後の最後、フランスGabby Williamsが3点、しかも残り1秒のところで2点を制した。結局1点差で負けてしまったのだが、かなり胸が踊った。諦めちゃいけない。
 
私は子どもの頃およそ10年バスケットをやっていたのだが、バスケットの試合を見ていると自分が経験した色んな場面が思い出されて最初ちょっとしんどかった。このブログにもいつか書いたと思うけど 今でも時々夢に見る。でもやっと最近になってバスケットをやっていて良かったと心から思える。バスケットに費やした時間は無駄だったと思った時期もあったけど、どうせ昔は変えられないし、良い方に解釈をしていこうと思う。
 
意味不明にしんどい練習を押し付けた指導者の先生のことは好きにはなれないし、そこまで感謝していない。水分補給をかなり制限したり、意味不明な連帯責任を押し付けた。けが人がめちゃくちゃ多かったのも、普通ではなかった。今はちょっとはマシな環境で子どもたちがバスケットを楽しんでいるといいなぁ
 
とにかくスポーツに、こどもたちに罪はない。


モリーに会いたい!
 
今アメリカに滞在中のジョルジュから連絡が来る。わたしが「暑い」と嘆いているとあちらは「寒い」と。内陸部の山間地だから、なんと朝の気温が5℃だったらしい!ひょえー
いとこの結婚式も無事終わり、いたく感動していた。オリンピックなんて全然関係ない環境にいて、なんか全然違う世界を生きてて面白いなと思った。

2024-07-19

1ヶ月間のマッチングアプリ

もう2ヶ月前くらいの話だけど
 
ある日、友人のソニーに「出会いがない」と話すとすぐに「よっしゃ牧子、マッチングアプリに登録するよ!」といって、私の代わりにプロフィールを作り始めた。
 
(実はジェレミーと別れたあと私は独り身を楽しみつつ、出会いがあまりになさすぎてちょっと退屈していた。世の中の人々が出会いを求めて一度は足を踏み入れるであろうこのマッチングアプリという世界を一度見て見たいなぁと思っていたのだった。でもなかなか勇気が出ず諦めていた。)
ソニーの提案に私が(え…!)とびっくりして反応する間もなく、彼はアプリをダウンロードし始め
「牧子の趣味は何?」
「朝型?夜型? 」
「何歳くらいの人と出会いたい?」
 
などと彼から質問責めにあった。
 
「牧子の写真送って!」と、
いくつか提供し、なんと37歳にして初めてマッチングアプリを始めることとなったのだった。
 
私が
「もうアラフォーだよ」と言うと ソニーは
「歳なんてまじで関係ないから!やってみないと分かんないよ!」
といって、そのままグイグイ進めていく。
 
すごいチカラだ。
 

私のプロフィールが出来上がって2人で喜んでいると、すぐにたくさんの通知が来た。横を見ると私よりソニーの方が歓喜(なんで?)している。牧子!すごいよ!たくさんのLIKE!と。

アジア人はウケがいいんだと思う、あと絵描きっていうのもそんなにいないだろうから、みんな面白がってるんだろう!私は人ごとのようにそれをボーっと見ていた。
 
するとソニーが
 
「じゃあ牧子、一緒に見て行こう!」
 
といって、一緒に男性らのプロフィール写真を見て
アクセプトするか(右にスワイプ)
お断りか(左にスワイプ)
をしていった。
もし相手も私のことを好いてくれていれば、私が右にスワイプした時点で

マッチング成立!
 
と出る。その度に2人で「ぎゃあああああ!マッチングしたぁぁぁあぁ」と叫んだ笑
それが面白くって面白くって、小一時間2人で爆笑し続けたのだった。
 
ソニーの男性のタイプと私のタイプ(ソニーはゲイ)はかなり違ってそれも面白かったし、ソニーというコミュニケーション能力が500万点くらいある人がどんな風にヒトを見ているのか、というのをはたから見てて面白かった。
 
 
私は1ヶ月の期限を設け、このアプリケーションを使うと決めた。じゃないと恥ずかしくてやってらんない
 

私は多くの人とメッセージを交換した。最初は物珍しさに楽しかったけれどもすぐに飽きた。全然会話が楽しくないし、だんだん興味や楽しさよりも面倒臭いが勝ってしまって、だんだん見なくなった。チャットも全然続かない。
めんどくせー!
 
男性らに関して言えば
海で上半身裸でポーズを撮っているか、
どこかの個人宅のプールサイドでスピリッツを飲んでいる写真か、
山でハイキングしている写真か、
誰かの結婚式に呼ばれてスーツ姿の写真か、
あとはなぜか車の中の自撮り。
 
みんな同じ人に見えて来る笑


そんな中、私は3人の人と実際に会うことになった。
偶然にも3人とも私(の作品)のことを知っていてその方が話が早かった。3人ともアート・文化が専門の人だった。
1人とは数回バーに飲みに行った。彼は写真より実物の方が素敵だったし話もあって面白かったが、その後私は現実世界でジョルジュに出会ってしまったので会わなくなった。
 
あとの2人は1回だけしか会わなかった。
会う前は色々話が合っても、実際に顔を合わせると全然イメージが違った。おそらくみんな実際よりちょい良さげの写真を載せているから。それでも気が合えばいいけど、なんかだめだったー 2人のうち1人はものすごくメール交換をして、込み入った話もして楽しかったし素敵な人だったのだが、私がジョルジュと出会った期間とちょうど被っていたのと、やっぱりその人と実際に対面したときの印象が予期していたものと違った。
 
 
結局1ヶ月待たずして私はアプリから自分のアカウントを削除することになるのだが、おそらく私の乏しい経験からアドヴァイス出来ることがあるとするば
 
 「その人にピンと来るものがあれば、すぐに会え!」だ。
 
勝手に想像力を膨らませて幻想を巨大化するより、会って直接話をしてから関係をゆっくり建設していくのがいいと思う。文面で意見交換するのと実際に会うのは雲泥の差があるから。そして相手に期待させすぎてそのあとごめんなさいするのはお互いに心が傷つきすぎる。



マッチングアプリ、本当に勉強になった。。。
思い切って登録して本当によかった。(たった3人にしか会ってないしサイトのお陰で恋は成就してないけど)
でも私はきっと向いてない。疲労困憊です。


ソニーに報告したら
「よかったね牧子!勉強になったね。でもこれで自分がモテるってわかったじゃん、もっと自信持ちなよ。」ってサラッと言ってくれて、あんたが一番イケメンだよ、、、と思った。
 


ちなみにだけど、例えばの話、ジョルジュをマッチングアプリで見かけてもおそらく私は何もピンと来てなかったかもしれない。だからといってマッチングアプリをダメなものだとは全然思ってなくて、なぜならアプリで出会って結婚、うまくいっている知り合いカップルも数多くいるからだ。
 
何がいいか・何が合って・何が合ってないか なんてわからないね。
それにしても不思議な1ヶ月 を過ごしましたー
勉強になった。

2024-06-02

私の本、ギャラリー

私のモノグラフ、つまり今までの仕事が詰まった本、できました!!!
レ・サーブル・ドローヌ美術館の個展の一環で作ってもらった本。グラフィストがジャン・フィリップ(友人)でめちゃくちゃ有能なので、隅から隅まで完璧です。美しい。
ちなみにここで買えます。19ユーロ。(仏・英)

上の写真はパリの本屋 Librairie Sans Titre(本屋「無題」)で撮ったもの。
ここで昔から友人のポリーヌが働いており、彼女がちゃっかり入荷してくれてた。彼女に会いに本屋に寄ったらしっかり私の本置いてあって笑った。ありがとうねポポー!!




今回のパリ滞在、実はギャラリーとのアポイントメントもあり、ちょっと緊張していた。まだ公には発表されていないので公言できないけど、わたしはギャラリーを変えました。

不思議なことなんだけど、ほぼ同じ時期に2つのギャラリーからオファーをもらっていた。(どこかのギャラリーと仕事がしたい!と願っている時はどこからもオファーがなかったのに。。0か2つ同時かなんて、世知辛い)
AギャラリーはBより規模が小さいがデッサンや絵画を専門としていたところだった。はっきり「牧子と一緒に仕事をしたい」とメールをもらい、仕事を始めた。しかしのちに私は大きめのBギャラリーが以前から私と仕事をしたがっていたことを知る。
今回彼らと色々やりとりをして、本当に「恋愛」みたいだなと思いました。
作品プレゼン(告白?)、お試し期間(コラボレーション?)を経て
やっと付き合う(専属契約?)
ことになったとしても、同時に複数のギャラリーと付き合うことはできないし、関係を持続し続けるためお互い信頼・尊重し合うことが特に大事。「付き合った」からと言って放っておかれてしまっては元もこともない。。

 

結果私はBギャラリーと仕事をすることを選んだわけですが、単純にスタッフが女性ばかりでしかもいい人たちばかりで、ものすごくフィーリングがあった、というのが結構理由になっているかもしれない。ギャラリー自体とても大きいし、空間も好き。専属アーティストの中に友人知人が何人かいる、というのも大きな理由です。

とにかくめちゃくちゃ嬉しい。
来年個展することに決まったし!頑張リマス!!





パリを歩く

2024-03-18

放牧の始まり。そして誕生日

放牧(牧子だけに。)の日がやって来た。
 
出発前のアトリエ。レオと一緒に私の昔の作品をじっくり見た。ものすごくいい時間だった…彼は本当にアートに熱い男なのだ。いろんなことを気づかせてくれる。
 
まずは電車でパリへ。 
この日は3月14日、私の37歳の誕生日であった。
 
早朝(っていっても7時半だけど)駅で電車を待っていると、突然フランスの兄から祝福の電話があった。知り合って16年経つけど、おそらくこんな朝早くに電話までして祝ってくれたのは初めてだ!それだけですでに嬉しさがピークの私。本当に嬉しかった、ありがとう!
 
その日はSNSの影響もあってか、たっっっっっっくさんの祝い言葉をいただきました。こんなに多くの人に祝ってもらったのは初めてではなかったか。みなさん本当にありがとう!

オリンピックムードのパリ。でもそれを心から待ち望んでいるパリジャンは私の知り合いに一人もいない。。 オリンピック期間中メトロは倍の値段になり、ホテルやアパートは信じられないほど高額になり。。会社によってはテレワークを推奨されているらしい。

友人宅でご飯。
ありがとう!
そのあと急いでGalerie Au Roiへ。この展示があるからこそ、誕生日だったけどわざわざ来たのだった。誘われた展示のメンバーに、知り合いがたくさんいたから是非来たいと思ったの。
しかも設営は後ろで見てるだけでよかったし。
設営のプロがいて最高でした。ありがとう。
時間ができたので同じ展示参加者のセバスチャンと、今回の展示キュレーターのアルダロンと3人で近所をぶらぶら。知り合いの本屋に行ったり、雑貨屋さんにいったり。可愛い犬がいたぞよ!
そしてやっと展示が始まったのだが、もうすんごい人・人・人。
ずっと人という人と話しまくっていたので、とった写真これしかない。
6年ぶりに会った友人が、こんな素晴らしいプレゼントをくれた!手作りのクッキー、しかもMAKIKOのM!!!すげーーー!
これにはかなり感動…ありがとう😻😻😻

あぁ楽しかった〜
 
今回気づいたけど、パリという巨大都市に対するコンプレックスというか嫌悪感みたいなものがかなり薄くなった気がする。それかそんなムジャムジャごにょごにょしたものがどうでもよくなったか、そんなものが気にならないほど忙しくなったのかもしれない。

2024-02-21

密着取材!

アントワーヌという若き映像作家がちょうど1年前くらい、突然 私に連絡をしてきた。それからというもの私が何かプロジェクトをするとなると撮影に来た。
 
今回、なんとナントからトゥーロンまでやってきた。一人じゃ大変なので友人のロマンを連れて。 

私はかれらをボドゥヴァン庭園のチャペルまで連れて行ったり、
 
制作中の アトリエに招待したり、
 
すっかり写真に撮るの忘れてたけど
我が家に招待して巻き寿司を作ったりしている。
私をテーマに映像作品を撮ろうと決めたのなら、こちらも出来ることは出来るだけしてあげようと思った。
 
 
5日間、みっちり私を撮り続ける彼ら。照明器具やらドローンやら色々機材を持って来て本格的だ。
(これは私の絵の上にドローンを飛ばしている)
彼は6月半ばに、52分のドキュメンタリー映画を1作品完成させる予定らしい。めちゃくちゃ楽しみだ!!!
 

2024-02-11

決断

プールに行くと、その日気持ちが豊かになる。
1月はあんまり行けなかったけど、最近また通い出した。水泳は体というより頭にいいと思う。
 
帰りにマルシェ寄った。 Blette (フダンソウ) の束が3ユーロで売っていたので買った。リュックサックに入りきらないほど大きい。
買うつもりなかったけどOrange sanguine (ブラッドオレンジ)が売ってて考える暇もなく手に取っていた。
これこの間芽が出ていたにんにく、育ててみようと思う。

私事ですが1月終わりにジェレミーに別れを告げ
またまた独り身に戻りました。2年半くらい付き合ってた。
特に新しい出会いがあったわけでもなく、ジェレミーとは今後付き合いを続けていても絶対どこかでダメになる、と分かったから。
 
 
かなり長い間付き合うことになると漠然と思っていたので、自分の決断に自分でも驚いています。気の合う友人としてなら、おそらくとても仲良くやっていけると思うのだけど、恋人だと彼の存在は重すぎるし、かなり体力がいる。
トゥーロンに一緒に住むことを断られたことで色々考えさせられました。地元愛が強く家族と仲がいいのは良い事だと思うんだけど、それが一緒に生きて行く上でわたしにとっては重荷になると思ったのです。彼のご家族は私をとてもよくしてくれたのは確か、今でも感謝している。
 
 
別れを告げてから2週間ほど経つけど、やっぱりずっと辛い。友達としては今も大好きだからなおさら。


別れを告げたあと、すぐスリーE(私の親友に当たる3人のE)と電話をしたり、ナントやトゥーロンの友人らと話をしてだいぶ助けられている。みんな本当にありがとうね。。
ところでその中の友(女性)に言われて衝撃だったことがある。
 
「牧子、世の中には牧子を『必要としていない男』がちゃんといるから。そういう人こそ牧子をちゃんと大切にしてくれる。どこかにいるから、絶対に会えるよ」

最初聞いた時 ものすごくハッとしたのだった。
わたしは 私を必要としている人ばかり探していたし、そういう人ばかりと今まで付き合ってきたからさ。


今はとにかく自分の制作に集中する期間。
自分を大事にする期間。
しばらくは恋愛はこりごり

2024-02-07

弁当と通勤通学時間

弁当ライフが戻ってきた。余裕があったら作るけど、「毎日絶対作らねば」と思っているわけではないので気が楽。あと不味くても自分だけだし。それくらいがいいよね
 
母の弁当は内容がいつも違ってしかも色豊かだったので、私の中の弁当レベルは高い。 


この日はナスの和風パスタと冷蔵庫に残っていた野菜詰め込んだ。赤いのはドライトマト。意外と多色なものが出来た。
 
この日はホットサンドでハムとチェダーチーズ挟んだものとサラダ。あと煮卵。あとこれにりんご1個。
ぜんぶただの自己満でやってる。
 
 
毎朝アトリエのあるLe Port des Créateurs に着くとスタッフの人らとコーヒー飲む。やっぱり私は人に囲まれている事が必要。毎日彼らに会えて嬉しい😸 大切な仲間たち。
 
 
トゥーロンに越してからLeboncoin(日本でいうメルカリ?のようなサイト)で自転車を買ったので、天気が良ければ自転車に乗ってアトリエへ。特に出勤時間などないのだけど、毎日アラームをつけずに寝て自然と7時くらいに目が覚める。ゆっくり用意してチャリに乗ってアトリエへ。
よくよく考えてみれば、私はこのかた通学通勤に30分以上時間をかけたことがない。小中高大とすべて徒歩かチャリか原付バイクで20分ほど。フランスに来てからもボザール(美術学校)に通ってた時は通学徒歩2分だったし、ファーマシーで働いてたときもバスやトラムを使って最大30分くらいだった。
今はアトリエまでチャリで10分。本当にお金も時間もかからない通学通勤人生。



 この前マルシェで買ったロマネスコ、やっと消費できたー

2023-12-28

Toulonにアパートを借りる

タイトル通り、トゥーロンでアパートを借りることになりました!
(長い話になります)

5月末にナントを離れてからというもの、実は荷物のほとんどをアトリエに保管していた。家具家電はすべてナントで売ったりあげたりしたので殆ど無い。
ニースのジェレミーのアパートは30m2と小さく、しかも彼はアトリエを持っていないので彼の全荷物がそこにある。つまり私の荷物を置くスペースは皆無。夏はお互い忙しかったので、少し落ち着く秋に、大きめのアパートを借りようという話をしてした。
 
 
だから私はダンボールに囲まれてアトリエで作業していた。着る服はいつも同じものをローテーションしていたし、大好きな食器や本などはすべてダンボールの中。トゥーロンのLe Port des Créateursにアトリエがある私は、南にいるときはニースとトゥーロン(電車で1時間45分)を往復していた。といっても日帰りではなく、トゥーロンに数日滞在して制作をし、休日にはニースに帰る、というような生活を送っていた。トゥーロンではLe Port des Créateursが持っているアパート(レジデンスのアーティスト用)を無料で使わせてもらっていたのだが、薄暗いし、ネズミが出たり、上の階からの水漏れがあったりなど、条件は良くなかった。時々外部からアーティストが数日滞在するため、いつも泊まれるわけでもない。


そこで私は思い切って、ジェレミーにニースではなく、トゥーロンでアパートを探そう!と提案した。だって私の基盤は仕事場のあるトゥーロンにある。ところが彼は露骨に嫌な顔をした。ネットで探した物件を見せても、何かにつけ文句を言う。そう、彼はニースを離れたくないのだ。
 
 
私は彼が南に住んでいたからこそ、ナントのアパートもアトリエも手放してこんな遠くに引っ越して来たというのに、彼はこの1時間45分の距離でさえも引越ししたくないという。ましてパソコンで作業をする彼は、どこでも仕事が出来るのに。彼はアトリエもないので、ニースにいなければならない理由はないはずなのだけど。そんなに地元が好きか、家族が好きか。
 
 
何度も話し合いをした結果、全然話がまとまらない。
わたしはしびれを切らして自分のアパートを自力で見つけることにした。もう人の家に居候するばかりの毎日は疲れた、と言って。
ジェレミーは「移動が多いってことは、それだけ仕事があるということ。嬉しいことじゃないか。トゥーロンでは無料でアパートを利用できるんだし、いいじゃん」
とか何とか、まじで何にも考えてない意見をいう。
 
 
「自分のモノに囲まれた自分の場所」がないという状況がどれだけ不安定か。


わたしはかなりブチギレ状態で、必死になってアパートを探した。
不安定な職業なので、不動産会社はなかなか信用してくれないだろうと思い、個人でアナウンスを出しているものを探した。
 
良さそうな物件があってメッセージを送ると職業を聞かれる。するとなんと悲しいことかな、最初の2回とも「自営業です」 というとすぐに断られた。収入額を言ってもないのに。。。
これでかなり心が折れた。
絶望したが、それでも諦めなかった。
 
ジェレミーとの議論は続いていて、彼は「なんでそんなに急ぐの?じゃあ、それならもう少ししたらトゥーロンで大きめのアパートを探そう」と言った。『もう少ししたら』って、いつ?本当に私の状況 なにひとつ理解してない。彼は自分のアパートがあっていいよね。


 
そんな中、2件見学までこぎつけた。
職業を言っても問題なし、わたしは去年 年収がいつもより多かったのでそれが効いたかな?
 
1件目は家具なしなので全て(洗濯機・冷蔵庫・ベッド・机・椅子…ぜーんぶ!)買い揃えなければいけない。中古などをインターネットで安く買えるかもしれないけど、それをエレベーターなしのアパートに設置するのつらいな…と思って、結局返事せず。
 
2件目は家具つき。お皿やコップ・フォークさえも全てあった。
中心地よりかは少し離れるけど全然歩ける距離。しかも小さな家で、住んでいる人は4家族(4アパート)しかない物件だった。
 
まず、見学させてくれたのはフリーで不動産仲介業をしているハキハキしためっちゃ感じの良いマダムであった。電話ですでに良さそうな人だなーとは思っていたのだけど、会ってやっぱり。建物の入り口で会った時から、すでに私がここに住むかのように全部を見せてくれた。不思議だった。ハキハキしたデキるマダム大好き。
 
 
見学が終わってすぐLe Port des Créateursに戻りスタッフのみんなに相談。「牧子、その物件いいじゃん!go go gooo!!!」と言われ、私の保証人になってくれる素晴らしきM様にもすぐ連絡して(本当にありがとうね・・・)、結局翌日の昼には全ての必要書類を送った。M様の迅速な対応にも本当に助けられた…ありがとう!!!
 
そのハキハキマダムへのメールの最後に自分の作品を載せたサイトも送ったのだけど、その返事に「書類すべてちゃんと受け取りました。ありがとうございます。そして作品のサイトも拝見させていただきましたが、あなたの作品だーーーい好きです!!!」という、ものすごく素敵な返事をもらったのだった。不動産関係の人でアートに関心ある人少ないと思っていたので、見てくれただけでも嬉しいのになんて素敵な返事!だから、これでもし書類審査通らなくてもいっか、ハキハキマダムに作品好きって言ってもらっただけでよかったよね、と思えた。

 
 
すると週末明けに
「大家さんがあなたを借家人に選びましたよ。おめでとうございます!よかったですね!」
というメールを受け取った。
「やった!!めちゃくちゃ嬉しいです!」とそのまま返事をしたら
「わたしも、あなたが選ばれてすごく嬉しいわ!」
と返事をくれた。
 
 
 
 
そのあと書類にサインをするために後日ハキハキマダムとカフェで会う。

書類を見るために さっと彼女が出したメガネ。。。
あれ、あれれれ!!これ、なんか最近ネットに出てた著名人と同じ形のやつじゃないか。。
 
 
そんなことは言わずに、ただ「そのメガネ!とても珍しいので写真を撮ってもいいですか」とだけ言って撮らせてもらった笑
そして全書類にサイン。ハキハキマダムは全部きっちりしていてスムーズに終わった。本当にありがとう。。。

色々書類関係でメールのやりとりなどあり、ついに入居日がやってきた。入居時の備品等チェックするお兄さんも面白い人で、これまたよかった。

そしてテーブルになんとハキハキマダムからウェルカムメッセージがあった。。

 職業上、不動産関係の人にいい顔をされたことがなく、アパート探しは難航するかと思われたが、なんと必死になって探し始めて、なんと2週間足らずで好条件な物件を見つけて入居することができた。自分が一番びっくりしている。
かなり自分は幸運だったとは思うけど、それにしてもミラクル。
 
ということで、やっと自分の家ゲットできました!!
本当に嬉しすぎて、さっきお気に入りのマグカップらをダンボールの奥底に見つけて、思わず抱きしめてしまいました。

これもすべてハキハキマダムの計らいや、保証人になってくれたM様、そしてLe Port des Créateursのスタッフのみんなの意見があったからこそ。
素敵な人ばかりに恵まれて、私は本当に幸せです。みんなありがとう。

2023-12-03

MIRAで展示設営 美術館で打ち合わせ

今回ナントに来たのはLe Voyage à Nantesの開幕式だけのためではなく、いろんな仕事がたくさん目白押し。
MIRAギャラリーでグループ展に参加するので、そのためもあり。
搬入中。
手前のナイスな骸骨は Polyhedre。喉から手が出るほど欲しい。
こちらフライヤーです。私の絵を採用してもらった。嬉しい〜!
テーブルクロスにも絵をかいた。

近くでコーヒー休憩

また別の日。
朝から電車に乗って、Les Sables d'Olonneへ行きました!
待ち合わせ場所は毎度、こちらの美術館。
春の個展に向けて、丸一日中会議でした。
昔ながらのつくりの屋根裏部屋は梁が張り巡らされているのだけど、そこで大量の布を展示しようものなら、安全面(特に消防)が大丈夫なのか、専門家を呼んでみんなで会議。公共の美術館で展示するって、こういうことなんだねぇ。。。わたしのわがままに、たくさんの大人が頭を抱えてくれている。大変なこっちゃ。
みなさんありがとう。

そのあと技術者と色々打ち合わせがあり、館長とお昼ご飯。ながーいこと、ここの館長をしている彼女はたくさんのアーティストもアート関係者もギャラリストも知っているので、たくさんのアドヴァイスをしてくれた。非常に勉強になった。。。


そして午後はそのまま彼女のオフィスへ戻り、なんとそのままおよそ4時間ぶっ通しで、私の生い立ちや作品について話をしたのだった。。。。

水なし。トイレ休憩もなし。

あっという間におわった。。。。

なんか途中で心療内科に来てるみたいな感じを受けた。作品の話というか、結局すべては自分の話だから。そしてすべてをゼロから百まで話し切るのは(そしてその自分の話を自分の耳で聞くことは)ものすごく面白かった。話しながらいろんなことを思い出したし、今まで起こったり作ったりしてきたものは、私の奥底でちゃんと繋がっていた。安心した。

館長はそれを全て録音しており、それを書き起こしてくれる。春の個展ではなんとありがたいことに立派なカタログを作ってもらうのだが、それが収録されます。もちろんフランス語、そして英語も。


くったくたになって家に帰る。
家といってもEとOの家。子どもたち2人もいれてみんなでご飯。うまそーなタコだぜーーありがとう
これは翌日。
いつも泊めてくれる彼らにお礼も込めて、ピザを頼んでみんなで食べた。うまああああ


 
コルテオ 太陽光発電