2020-08-10

無知からくる言葉の暴力

インスタに、今ナントで開催中の展示の写真を投稿した。展示はおよそ2ヶ月続くので、たくさんの人が見に来てくれればなーと思いながら。


何人かの人がコメントをくれたんだけど、その中でひとつ、展示のまさにキュレーターがこんなコメントをくれたのだった。

「ブラボー牧子!君の作品は原爆だ!観客に大人気さ!」


この写真の投稿をしたのは奇しくも8月8日で、原爆投下6日と9日の間の日だった。最初このコメントを読んだときはビックリしたけど、「いや、私考えすぎか。。ただのブラックユーモアだよね?」と気にしないふりをしたのだけど、時間が経つにつれモヤモヤが募った。


「やっぱ だめだろコレ」

ブラックユーモアにしても、全然面白くねー!!!!私が考えすぎ?そうかもしれないけど、ダメなものはダメだろ!



もし、これを私のフランスの兄や超身近な友達が言ったら、笑って軽く流していたかもしれない。気にも止めなかったかもしれない。けれどこの人はインスタグラムという、一般の誰しもが目にする場所で、何の気なしに文章として残した。ちなみに彼のことを私はそこまでよく知らないし、友達と言える間柄でもない。

笑えるはずもない。



小学校の時、図書館に唯一あったマンガといえば「はだしのゲン」だった。図書館でマンガが堂々と読める、というアホみたいな理由で私ははだしのゲンを読み始めたのだが、あまりの残酷さに言葉を失った。怖くて辛くて、たしか最後まで読みきれなかったと思うけど、何とか読んだ最初の方の内容はよーーーーく覚えている。これが現実の話しなんて全く信じられなかったし、学校が毎夏生徒のために企画していた戦争を理解するための行事や講演会より相当なインパクトがあった。図書館の片隅で、私はブルブルと震えていたのだ。

はだしのゲンを読んだことのある人であれば、「原爆」という単語を使って冗談など、言えやしないのだ。ましてやその単語を使って私の作品を褒める?ありえない。他にも火垂るの墓とか戦争体験を題材にした作品はいっぱいあるけど、それらを見たことのある人ならば、絶対にそんなこと出来っこ無い。




モヤモヤはついに怒りに達し、私はこのコメントをくれた人にどうそれを伝えようか考え始めた。でも気づいたのだ、彼はただ無知なのだと。戦争のことを知らないし、原爆のことも知らないのだ。8月6日と9日が日本人にとってどんな日であるのかなんて、全くこれっぽっちも。普段は温厚な彼なので、悪気があってあんなコメントを残したわけではないことくらい明確だったし、「怒る」のはなんか違うなーと思ったのだった。ただただ私の作品を賞賛するために、嬉しくてパッと思いついた単語を書いただけなんだろう。



だから、正直な思いをメールすることにした。

「もしかして私は考えすぎなのかもしれない、ただ敏感になりすぎているのかもしれない。だとしたら申し訳ないのだけど、何かを褒め称える場合であっても、原爆という単語を使うのはまずいよ、ましてや日本人に。奇しくも8月6日と9日は原爆投下の日だった。あなたに対して怒りは全く無い、ただあなたが今後、もし私より繊細な日本人に会った時のために、気をつけてほしいだけです。」



このメールを送ったあともモヤモヤはやっぱり続いたけど、彼のことを思うと、辛くても送ってよかったのかな、と思った。翌朝彼から返事が来た。ものすごく謝っていたし、これから気をつける、と言っていた。謝らなくていいけど、気はつけてもらいたい。だから結果オーライ。(彼はソッコーで自分のコメントを削除した)



そもそも原爆なんて、必要のないものだと思う。

みんなはだしのゲン読んでください。

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